2012年10月03日

國分功一郎氏のインタビュー

10月2日の朝日新聞に載った國分功一郎氏(高崎経済大准教授)のインタビューが面白かった。というか、痛快であった。

日本が新しい政治の創造に成功していない現状を「『思想』の欠如」によるものとして、次のように説明する。

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「日本は、増え続けるパイの分配だけを考えればよかった昔とは違い、政策に厳しい優先順位を付けねばならない時代を迎えています。すると『こういう未来を目指すから、この点は我慢して欲しい』と国民を説得する言葉が求められる。そうした言葉を発するには、背骨となる思想が必要です」
「鳩山由紀夫さんと菅直人さんには一応『友愛』『最少不幸社会』という思想の断片らしきものがありました。けれど鳩山さんには現実に対応する考察力がなく、菅さんには仲間を集めて政策を実現するという政治家の基本がなかった。その次の野田佳彦さんは、官僚とアメリカと電力会社に要求されたことを、まるで自分の決断であるかのように語るだけの人でした。作家の高村薫さんは彼を『ただしゃべるだけの人形』と呼びましたね

自民党の総裁になった安倍晋三氏について問われると、國分氏はこう述べる。

「安倍さんがよって立つのは、思想というより具体性を欠いたイメージでしょう。首相時代に唱えていた『美しい国』の例として映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が挙げられた時は開いた口が塞がりませんでした。領土問題や近隣諸国との関係について勇ましいことが言えるのも、自分が思っていることが実現したらどうなるかを具体的に創造できないからでしょう」

まあ、痛快だからといって、それで溜飲を下げて終わり、では何も変わらないわけだけども。
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2011年12月02日

爆破して平和にすることはできない

『図書』12月号にピーター・バラカン氏が「ラジオのこちら側で」という文章を書いている。

9.11のあと、850ものラジオ局を所有する企業「クリア・チャンネル」のトップが社内宛てメールで、自粛すべき曲のリストを送ったのだという。そこには「イマジン」、「天国への階段」、「ルーシー・イン・ザ・スカイ」、「ワンダフル・ワールド」なども含まれていた。そんななかで開催された9.11犠牲者の追悼コンサートでニール・ヤングは「イマジン」を歌った…。

ブッシュが大統領だった当時の米国がイラクを攻撃した2003年に、米国の女性3人のグループ、ディクシー・チックスのリードボーカルはロンドン公演で「我が国の大統領と同じテキサス出身であることを、私は恥ずかしく思う」と語った。その余波により、その後の彼女らのコンサートは相次いで中止され、CDの破壊行為、暗殺の脅迫、罵倒が1年ほども続いたという。(その経過は、『Shut Up and Sing』というドキュメンタリー映画に記録されているという。これ、観てみたいな)

2004年には、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンらが、反ブッシュの運動を企画するものの、ブッシュは再選される。

2003年にマイケル・フランティというアーチストが「Bomb The World」(世界を爆破しろ)という曲を発表。バラカン氏は、この曲をラジオやイベントで何度もかけたという。この曲は「you can bomb the world to pieces, but you can't bomb it into peace」(世界を破壊して粉々にはできる、でも爆破して平和にすることはできない)と歌う。

というような、9.11以降の音楽の世界の出来事を紹介しつつ、バラカン氏は、エルバート・ハバードの「To avoid criticism do nothing, say nothing, and be nothing」(批判を避けるなら、何もするな、何も言うな、つまらない人間でいろ)という言葉を引用する。

いずれも、大きい流れに対する微々たる抵抗といってよいと思うが、じゃあ大きい流れはどうやって変わるのかといえば、結局は微々たる運動の積み重ねによるしかないのだろうとも思う。カミサマみたいなものが手を差し伸べて大きく世界を変えてくれるわけではないのだからね。


Bomb The World
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2011年09月29日

スタンフォード監獄実験の責任者の講演

たまたまなのだが、映画『エス』のモデルとなったスタンフォード監獄実験を行った責任者の講演の映像を見つけた。スタンフォード監獄実験というのは、一般の人々を囚人役と看守役に分けて生活させるという心理学実験で、看守役による囚人役に対する非人道的な行為がエスカレートし、暴力行為も生じて危険な状況になったため、2週間だった予定が6日で中止になったというものだ。

その責任者だったのが以下の講演の話者であるフィリップ・ジンバルド博士。状況が、普通の人を容易に邪悪な存在に変えてしまうということ、また英雄に変えることもできるということを、スタンフォードの実験、イラクのアブグレイブ刑務所での捕虜虐待、ミルグラム実験などを例に説明している。

ミルグラム実験は、スタンフォード監獄実験とともに語られることの多い心理実験で、やはり一般の人々が、指示さえ与えられれば容易に他の人に対して加害を行いうるということを証明したものだ。ちなみにミルグラム博士とジンバルド博士は、高校の同級生だという。





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2011年08月01日

Honchoふたたび

以前、ボスやリーダーという意味の英語として honcho という言葉があり、それは日本語の「班長」に由来するという話を書いた。それは80年代に米国に進出した日本の自動車メーカーの工場から広まったのではないかという推測も書いた。

その推測は間違っていたようだ。たまたま、ランダムハウス英和辞典を見てみたら「「班長」;朝鮮戦争時、米国陸軍で使われた」とあるではないか。どうして米国陸軍で「班長」に由来する言葉が使われたのだろう。

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2011年06月28日

英国保守思想の潮流

今朝の朝日新聞の「音楽展望」に吉田秀和が、数十年前の英国でのある体験を紹介している。吉田が、当時評判の高かったLPプレーヤーをロンドンのオーディオ店で買おうとしたときのことだ。店員は最新機種をデモしてくれたあとで、次のようなことを述べたという。

「この機械は最も新しく、最も進んだもので当店の自慢の商品。(中略)しかし、これはまだできたばかりで、従来の商品と比べ、どんなにすぐれているかはよくわかっているけれど、進歩した半面、どこか悪いところ、不具合になったところができたかどうかはまだ誰もよく知らないのです。ものごとは、ある点で改良されると、それに伴って今までなかった不都合が生じるというのも、ありがちです。(後略)」

そして店員は、その最新機種ではなく一つ前の機種を推し、吉田もそれ買ったのだという。吉田曰く「これが有名なイギリスの保守精神の実例か」。

なんだか妙に心惹かれるエピソードだ。店員のいうことは、もっともだと思う。そう感じながらも、しかし、僕らは、多くの日本人は、やはり最新機種を買ってしまうのではないだろうか。新しいものが常にベストだと、そういう思い込みがあるんじゃないか。そのことは「畳と女房は…」の格言に如実に現れているかも…。

格言で思い出したが、このブログで、Better the devil you know than the devil you don't know.(知らない悪魔より知っている悪魔のほうがまし)という英語の格言のことを書いたことがある。これがどの程度、一般的な表現なのかわからないけれど、先の店員の態度に通じるものがあるように感じられる。よく知らない最新機種よりよくわかっている旧機種のほうがよい、というわけだ。

そういう考え方・思想を、称揚するつもりはないけれども、それは一つの人生の知恵といってよいようには思う。
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2011年06月17日

節電

昨日、銀行に入ったところ、室内の空気がモワッとした感じで「おや、どうしたんだろう」と思った。あれはおそらくエアコンの温度を高めに設定しているということなのだろう。以前なら「もう少し温度を下げてはどうか」と思ったかもしれないが、いまは「頑張ってますね。その調子でいきましょう」という気分だ。

今朝などは肌寒いくらいだったし、暑くなっても梅雨時ならたかが知れている。夏本番になったときに、どこまで節電の努力を維持できるか。日本全体が試されることになりそうだ。体調の悪い方は遠慮なくエアコンを使うべきだが、そうでない方は汗を流して夏を乗り切ろう。

考えてみると、僕も以前はエアコンのない部屋で汗だくになりながら仕事をしていた。エアコンが嫌いだったからだ。キーボードをたたく腕をのせる机には、「ハ」の字の形に汗がたまったものだった。今年の夏はどういうふうにしようか。
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2011年06月01日

ゴジラ来襲

「1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。」(ウィキペディア)

ゴジラは、核の恐怖を具現化したものだったわけだ。そうすると、福島原発の事故でいま日本が闘っている相手は、ゴジラそのものといってもよいかもしれない。

映画のゴジラが、第1作では恐怖の対象だったのに、シリーズが進むにしたがって子供たちのヒーローに変化していったことは、核の存在が「平和利用」という名目で原発として日本社会に受け入れられていったことと似ていて、皮肉なことに思える。しかし、いまや原発の「絶対安全」という仮面の裏側にあった脅威がむき出しとなってしまった。

娯楽映画なら2時間後にはどんな問題も解決する。日本の社会を襲うこのリアルな「ゴジラ」との闘いはいつ終わるのだろうか。
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2011年05月13日

限界のないリスク

今朝の朝日新聞にドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックのインタビューが掲載されている。ベックは福島の原発事故のような大災害をこう説明する。

「人間自身が作り出し、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害です。通常の事故は、たとえば交通事故であれ、あるいはもっと深刻で数千人がなくなるような場合であれ、被害は一定の場所、一定の時間、一定の社会グループに限定されます。しかし、原発事故はそうではない。」「そんな限界のないリスクをはらんでいるのは、原子力だけではありません。気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムなどほかの多くの問題も同じような性格を持つ。近代社会はこうしたリスクにますますさらされるようになってしまいました。福島の事故は、近代社会が抱えるリスクの象徴的な事例なのです」

ところで、昨日、神奈川県の南足柄で暫定基準値を若干だが超える放射性セシウムが検出されたというニュースが報じられていた。これが福島に由来するものかどうかは断定できないが、そうだとすると300キロ離れた場所まで放射性物質が飛散しているということになる。

福島の状況はいつ収束するのかもはっきりしない。住民がいつ戻れるかもわからない。確かにこれは「被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害」といえそうだ。

この「限界のないリスク」を抱えた社会のありかたを、ベックは「着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなもの」とたとえる。はたして、54基の原発を抱えた日本は、無事に着陸することができるのだろうか。いや、なんとしてでも着陸しなければならない。
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2011年03月30日

岩波が『世界』『科学』の一部を公開

今回の震災を受け、岩波書店が『世界』『科学』の原発関連の記事を公式サイトで無償公開している。今後の原発のあり方を考えるうえで参考になりそうだ。

公開されているのは以下の記事。

『世界』2011年1月号
マイケル・シュナイダー/田窪雅文訳「原子力のたそがれ──米・仏・独のエネルギー政策分析から浮かび上がる再生可能エネルギーの優位性」
明石昇二郎「原発輸出──これだけのリスク」
葉上太郎「原発頼みは一炊の夢か──福島県双葉町が陥った財政難」

『科学』
青山道夫・大原利眞・小村和久「動燃東海事故による放射性セシウムの関東平野への広がり」(1999年1月号)
石橋克彦「原発震災──破滅を避けるために」(1997年10月号)
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2010年12月11日

ノーベル平和賞・劉暁波氏の言葉

「私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれている。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ。(中略)/私は私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、共存できる。多数意見と少数意見が平等の保障を得て、権力を担う者と異なる政治的見解も十分な尊重と保護を得ることができる。すべての国民が何のおそれもなく政治的な意見を表現し、迫害を受けたりしない。/私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄」の最後の被害者になることを。」(朝日新聞2010.12.11)
 マーティン・ルーサー・キングの"I Have a Dream"の演説を思い出したのは僕だけではないだろう。日本でさえいまだ「人権を至上とする法治国家」になったと言い切れず、その状況に虚無感を覚えることすらあるけれども、現在の中国でこのように力強く未来像を語る劉暁波(リウ・シャオボー)氏の姿勢に感銘を受ける。これはエドワード・サイードや大江健三郎氏が言うところの「意志の力による楽観主義」というべきだろう。ノーベル平和賞の受賞を知った劉氏は「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流したという(朝日新聞2010.10.12)。彼の語る「楽観的な期待」が、どのような苦悩を克服したうえでのものか、その一端が垣間見れるようだ。
 劉暁波氏が獄中にあるのは、民主的立憲政治を求める08憲章を起草したことが理由だという。文章を書いて投獄されるとは、考えるだに恐ろしいことだが、かつては日本にもそういう時代があったし、それがいまもこの世界にあるということをしっかり認識しておきたい。それはどこか遠い世界のことではなくて、海を隔てただけの隣国でのことだし、遠い時代の誰かのことではなくて、自分より数歳だけ年上の同時代人の身に起きていることなのだから。
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2010年09月02日

『滝山コミューン1974』原武史著、講談社文庫

 東京都東久留米市にある滝山団地。1970年代、日本全体を覆う「政治の季節」の空気と、この新興巨大団地の独特なリベラルなムードを背景に、地区の第七小学校においてある教師がソ連式の集団主義をベースにした教育手法を実践した。本書は当時その小学校に在籍した筆者が、自らの記憶や当時の同級生、教師らからの取材に基づき、ことの顛末を詳細に追い、筆者が「滝山コミューン」と呼ぶその現象を検証したノンフィクションである。
 それと同時に、本書は筆者が、その嵐のなかでどのように身を守り、生き延びたかの記録でもある。「生き延びた」は大げさに聞こえるかもしれないが、筆者は、ある教師の指導のもとで全校を「支配」した代表児童委員会のグループに呼び出され、自己批判を強要されるということまで経験する。
 当事者であるだけに、批判にバイアスがかかっているかもしれないし、「滝山コミューン」という呼称も少々大げさに感じられるのだが、時代の貴重な記録ではあると思う。
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2010年08月28日

刑場公開

 27日に葛飾区小菅の東京拘置所にある刑場(死刑を執行する場所)が一部の報道機関に公開された。テレビ画面を通じて見たその部屋は、蛍光灯が明るく輝いていて、調度や飾りもなく、殺風景というかニュートラルというか、厳粛な場という印象は受けなかった。人を殺すための部屋はどうであるべきなのだろう。考えてみてもよくわからない。首に縄をかけられた死刑囚が立つ場所は、床が開くようになっている。そのためのボタンが3つあり、どのボタンが実際に機能したのかはわからないようになっているそうだ。執行官の心理的負担を軽減するためであろう。死刑囚が拘置されている棟も紹介され、他の死刑囚と顔を合わせないよう入浴も広い浴場に一人で入るということだった。明日にも執行されるかもしれないという状況のなかで孤独に日々を送るということがどういうものか、どういう影響を精神なり人格なりに与えるのか、想像もつかない。
 死刑を執行するということは、いまここに生きている一人の人間を、別の人間が殺すということだ。それがむごいことであるのは間違いない。むごいことをしたから人は死刑囚になるのではあるが、そのむごいことの最後にもう一度死刑という形でむごいことが加えられる。
 死刑については、存置すべしという人が国内では圧倒的多数だ。そうなる心情はわかる。僕も、凶悪な犯罪の報道などをみると、これは命で償うほかなかろうと感じることはある。たとえば自分の家族が殺されるようなことがあれば、なおさらだろう。しかしそういう感情を持つことと、実際に死刑をおこなうことの間には、大きな距離があるようにも思う。死刑存置を選ぶということは、原理的には、囚人を目の前にして、執行のボタンを押す覚悟を持つということだ。僕はそこまでの覚悟は持てそうにない。罪を償わせるために人を殺すという覚悟を広く国民が持つということがよいことなのかどうかも考える必要があるだろう。
 ヨーロッパの国々は死刑を廃止している。スウェーデンなどは1921年に廃止しているという。ヨーロッパの人々にも凶悪犯に対する処罰感情はあるはずだが、彼らはどのようにその心情を整理するのだろうか。
 
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2010年07月28日

元海兵隊員の詩

今夕の朝日新聞に、元海兵隊員だった男性が書いた詩が紹介されていた。イラクでの経験に基づくものだ。

あなたは人を憎むことなんか
決して教えてはくれなかった
でもね 母さん ぼくは人を殺しました
(中略)
心が痛むんだ 母さん
そのことを今も毎日考えています


何とも悲しい詩だ。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のようだ。

宮崎駿が、大人の物語は取り返しのつかないことを描き、子供の物語はなんとか取り返しがつくかもしれないことを描く、そこで自分の子供の物語を選ぶ、というようなことを言っていたように思うが、その分け方でいうなら、元海兵隊員の詩は、やはり取り返しのつかない経験を描いていると思う。彼が殺したイラク人に許してもらう機会はもうないのだから。人を殺すことで、彼自身も壊れてしまった。詩を書くことで、壊れた自分の破片を拾い集める。

海兵隊というと、沖縄の普天間が海兵隊の基地だ。彼も沖縄にいたことがあるのだろうか。
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2010年01月27日

中曽根さん

今朝の朝日新聞に「私の「日韓」」と題し、中曽根元首相のインタビューが、韓国の金泳三元大統領のインタビューと並んで掲載されていた。

中曽根氏には、首相在任当時は「浮沈空母」発言などもあり、タカ派で超右寄りみたいなイメージを持っていたのだが、このインタビューを読むとずいぶんとリベラルに見えるのが興味深かった。

こじれていた日韓関係を打開した訪韓時、韓国語であいさつをし、韓国の流行歌を歌い、「我が国が多大な苦難をもたらした」と謝った。そのことを振り返り「日本は韓民族にずいぶん迷惑をかけてきた。(中略)反省と協力を行動で示す必要があった」「私は民族主義者だから、韓国の民族主義も理解していた。日本があれだけのことをやった以上、一度は謝らなければならない。総理大臣が『過ち』と述べて謝る。それが礼儀だという意識をもち、自分で考えたのです」と述べているのだ。

永住外国人の地方参政権についても「僕は原則として賛成。(中略)大局から見て日本の前途を開拓する立場で進まなければ。政治家の器量が問われる。条件を厳しくしても、だれかが踏み切らないといけない」と明言している。

これからの日韓関係については「隣同士の意識で善隣友好関係を基本にする。文化的親近性の点でも他国とは違う。日本がアジアや世界の政策に取り組むとき、韓国は非常に大事な同伴者。中国も入れれば、北東アジア3国で結束して世界に顔を出していける。そういう考えを相手側にも持ってもらえるよう、共鳴できる共通軸を作るのが政治家の務めです」と方向を示す。

なんか共感してしまうのだが、もともとこういう考えだったんだろうか、この人は。それとも、世の中全体が右にシフトしてきたから、旧世代の政治家の考えがリベラルに見えるということだろうか。
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2009年12月12日

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説がアサヒ・コムに掲載されていた。一読して、うーんと唸る。

主張に賛同できない部分はあるけれども、この授賞への批判を詭弁で逃れたり、批判がないかのように振る舞ったりはせず、批判を正面から受け止めて突破しようとする姿勢は、政治家として見事だと感じた。これが米国の大統領というものか。突破できているかどうかは議論のあるところだとは思うが。

クリントンが大統領として来日し、筑紫哲也の番組で市民対話を行ったことがあったが、そのときの出演の条件として、「誰のどの質問も途中でカットしたりしない」というものがあったと聞く。その結果として、大阪の女性から、不倫のことを奥さんに謝ったのかとガツンと言われることになったわけだが、ともあれどんな言葉に対してもその場で自分自身できちんと対応できることが、米国の大統領として不可欠の資質なのかもしれない。






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2009年08月31日

行列のできる投票所

昨日、午前中に投票所であるコミュニティセンターに行ったのだが、投票のために並んでいる人の行列が十数メートルほども建物をはみ出していた。降り出した小雨にさらされながら。

この町に越してきてから十年ほど。選挙は欠かさず投票してきたが、このような行列は初めて見る。列に加わっていると、並んでいるお年寄りからも「こんなのは初めて」という会話が聞こえてくる。これが「風」というものか。こりゃ相当の投票率になるんだろうなと想像した。投票を終えて外に出ると、行列は倍くらいの長さに伸びていた。

ところが、総務省の発表によると今回の投票率は69.28%。前回の「郵政選挙」が67.51%だそうだから、それよりは確かに高いのだが、その差は2%もない。前例のないほどの長い行列にもかかわらず、前回とさして変わらない投票率――これはいったいどういうことだろう。

想像するに、今回は「政権交代させてやる!」と意気込んで早い時間に投票に行った人が多かったのだろう。それで投票所に足を運ぶ時間帯が重なり、行列になった。期日前投票の数も過去最高だったというから、投票する人のなかでは確実に投票したいという気持ちが強かったということが言えるのではないか。

しかしそのような意欲は、全有権者に共有されていたわけではないのだろう。投票しなかった約3割の有権者は、前回も今回も、あるいはそれ以前も、投票することに意義を感じられなかったのだろう。関心がないということかもしれない。3割の人たちのところは、周りでいかに「風」が吹こうが無風状態ということか。

約3割というのは、けして少ない割合ではない。人数にすると、3200万人くらいになるのだ。彼らに共有されているのは政治への絶望やアナーキズムだろうか。投票で示される個人の意思の集積が社会を動かすということへの想像力の欠如だろうか。いずれにしても、大政党の支持者数なみの数の投票棄権者がいるということを忘れてはならないと思う。全国で「風」が吹いたといっても、その影響の及ばない大きな領域が厳として存在するということを。
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2009年07月22日

衆院解散

解散を決意したあとの麻生首相の顔は、これまでで一番キマっていたと思う。決断をするということが人に気迫をもたらすものらしい。

それはそうと、解散の瞬間、バンザイの歓声が議場を満たしていたがあれは何なのだろう。大多数がバンザイをしていたように見えるので、自民党と民主党の両方がやっていたのか。民主は待ちに待った解散ということでのバンザイか。自民のほうはどういう意味のバンザイ? やけっぱちのトキの声? よくわからないけれども、国会の中は何から何まで日本的で、しかもそれは濃縮された日本という感じがする。
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2009年04月06日

オバマ大統領の言葉

「今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する。この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう。忍耐とねばり強さが必要だ。しかし我々は今、世界は変わることができないと我々に語りかける声を無視しなければならない。」
http://www.asahi.com/international/update/0405/TKY200904050209.html

これは凄いなあ。よくぞ言った、と思う。彼が言う通り時間はかかるだろうけれど、それでも一歩を踏み出さなければ始まらない。
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2009年01月17日

地には平和を

ガザのこと。
停戦への動きがあるようだが、一刻も早く停戦してほしい。下のはアルジャジーラのニュース映像だが、無垢な子供たちの命が奪われている。イスラエル政府は何をしたいのだろう。これは問題を解決するのとは逆方向のことだ。





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2008年11月29日

スナック化現象

「スナック化」という言葉を最近知った。

昨年(2007年)のCNET Japanの記事だが、村上勇一郎氏が次のように解説している。
全世界的にコンテンツの「スナック化」現象が進んでいる。スナック化とはすなわち、コンテンツをスナック菓子のごとくつまみ食いする文化のこと。具体的に言うと、ゲームならばロールプレイングゲームのような重厚長大型のゲームでなく、ライトゲーム、カジュアルゲームと呼ばれるミニゲーム、音楽で言うとアルバムよりシングル、デジタル楽曲ダウンロード等の1曲1曲を好む傾向のことである。


なぜこれが気になるかというと、マニュアルなんかを作る場合でもこういったスナック化世代?を対象とするならば、「つまみ食い」しやすいように工夫する必要があるだろうなと思うからだ。じっくりマニュアルを読んでもらうことは、もともとどの世代に対しても期待してはいけないことだと思うが、その状況がますます進行していると想定すべきだろう。

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