記事によれば、時代小説で日本語の美しさを再認識し、それとともにニュースなどでの外来語の乱用に不快感・不信感を覚えるようになったという。
「ファンド」「コンテンツ」「ネットナビゲータ」――。日本の公共放送がなぜこんなに外来語を使うのか。それが正しいのか、問題なのか、しっかり議論したいと男性はいう。「私はあとは消えていくだけ。議論のための一粒の種を残したい。麦をね」(朝日新聞2013年8月30日)
テクニカルライティングの世界では「わかりやすさ」が第一で、「美しい日本語」というレベルのことが意識されることはあまりないだろう。しかし、「わかりやすさ」の観点からいっても、外来語の乱用は問題だろう。気をつけるべきことだ。
とはいいつつも、外来語を覚えてもらわなきゃどうしようもない、というのがITの世界だから、ことはやっかいだ。永遠のテーマかな、これは。