2009年04月13日

斎藤貴男『安心のファシズム ―支配されたがる人びと―』

エーリッヒ・フロムは名著『自由からの逃走』で、ナチスの台頭に至った背景に、支配されることを求めるドイツ民衆の心のあり方があることを看破した。本書は、さまざまな違いはあっても根本の部分では同様のことがいまの日本でも進行しているのではないかという警鐘を鳴らす。鉄道の自動改札機の普及と管理社会化を結びつける議論など、いささか被害妄想のように感じられる部分もあるのだが、あるいはこちらの感度が鈍すぎるということかもしれない。
posted by kunio at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年04月12日

藤沢晃治『「分かりやすい教え方」の技術』(講談社)

藤沢晃治氏の「分かりやすい」シリーズ第4弾。分かりやすい説明、分かりやすい表現、分かりやすい文章ときて、今回は分かりやすい教え方について。

「文章」はともかくとして、「説明」や「表現」と「教え方」とはどう違うのか?とタイトルだけ見ると思ってしまうのだが、読むと全然違うテーマなのだということがわかる。分かりやすい説明や表現というのはその場で理解してもらうことが目的であるのに対し、「教える」ということは単に理解してもらうだけでなく、それを定着させ、身につけさせることが目的となる。いわば、説明や表現の技術の先にあるのが、「分かりやすい教え方」の技術だ。

その考えに立ち、本書では「分かりやすく教える」五つの心構えと、「分かりやすく教える」八つの技術について解説している。

教える立場というと、教師がまず思い浮かぶが、新入社員の教育をしたり、家族にパソコンを教えたり、研修で講師をしたりと、人はさまざまな場面で「教える」ことがある。そういうときに本書に記されたノウハウは役に立つことだろう。
posted by kunio at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年04月07日

堤未果/湯浅誠『正社員が没落する――「貧困スパイラル」を止めろ!』(角川書店)

『ルポ 貧困大国アメリカ』などを書いた堤未果と、『反貧困』などの著書があり日比谷の「年越し派遣村」で村長を務めた湯浅誠の対談。格差社会の「先輩」である米国の事情に詳しい堤氏と、NPO活動を通じて日本の貧困の現場を10年以上見てきた湯浅氏が、両国の現状や近年の変化を対比しながら、貧困問題の深刻な状況と今後の見通しを語り合っている。

ここで強く指摘されているのは、いまや中間層、正社員として働く層も貧困ラインに入ってきているという現状。米国での、医師や教師といった社会的地位があったはずの人たちの置かれている状況は目を覆いたくなるほど。ショッキングな事例がいくつか紹介されているので、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。行き過ぎた自由主義、市場原理主義の行き着く先に震撼することと思う。

日本も状況は深刻。湯浅氏は次のように語る。
---
 貧困の拡大・放置によって、さらに労働市場を壊していることに気がつけるかどうかが問われていると思うんですよ。(中略)
 ワーキング・プアが、どんな条件でも働きますと。聞いた話とはまったく違う現場であっても行きますとなるわけです。そういう人が増えれば増えるほど、企業の側も、「5千円で働く奴がいくらでもいるのに、何で1万円かけて人を雇わないといけないんだ。バカらしい」って話になっていく。正規の人たちもすぐ脇に非正規の人をおかれて、「あの人はあんたと同じ仕事をあんたの3分の2とか、半分の給料でやってるんだよ、あんたは、その2倍、3倍の給料をもらうだけの仕事をしてますか」と言われ、給料が切り下げられる上に、長時間労働になってくる。
 こうして、正社員の低処遇化が進んでいく。どんどん成果主義が導入されて、自分たちの環境も悪化している。フリーターを、ワーキング・プアを切り捨てていくことが、自分の足元を崩しているということに気がつけるかどうかです。
---

本書を読んでいた感じたことなのだが、この湯浅誠氏はこれからの日本にとってとても重要な存在となっていくような気がする。
posted by kunio at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年04月04日

松永節『パン工房「楽童」物語』(草思社)

大阪で夫とともに小さなパン屋を営む女性による、家族の物語。前半は、サラリーマンと結婚したごくふつうの女性がいかにしてパン屋さんになったかという話で、後半は、パン屋を一カ月休んでのヨーロッパのパン屋めぐりの旅の道中記。歯切れのよい文章に、漫才そこのけの家族の会話が、どんどんページをめくらせる。失敗も経験のひとつと楽天的に前に進んでいく夫婦の姿勢に元気づけられもする。こういう生き方もあるんだなと、少し視野が広がる思いがする。

著者の女性は僕の主催する集まりの読書会に大阪から参加してくださった方で、その人の本ということで興味を持って読んだしだい。
posted by kunio at 06:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年04月03日

エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』

23歳の医学生チェ・ゲバラは1951年、中古バイクにまたがり友人とともにアルゼンチンのコルドバを出発し、チリ、ペルー、ブラジル、コロンビア、ベネズエラと南米を縦断する旅に出る。バイクは途中で壊れ、その後は、密航、ヒッチハイク、徒歩、馬、いかだでの漂流などあらゆる手段を使う。宿は野宿、民家、警察、病院など。この数か月におよぶ旅のゲバラ自身による記録が本書である。

その文章は、饒舌で、ちょっと気取っていて、詩的で、情熱にあふれ、若々しい。

若者は、ある旅によって世界を知り、自分自身と出会うものではないだろうか。そのような決定的な旅を経験するものではないだろうか。ゲバラにとっては、このモーターサイクル・ダイアリーズの旅がそのような旅であった。
posted by kunio at 02:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年03月31日

藤原智美『検索バカ』

軽い印象を与える書名だが内容は案外重く深い。「検索」し「コピペ」して、文章を書いたつもりになること。「空気を読む」こと、自分に割り振られた「キャラ」を演じること。それがいまの日本人の心のあり方ではないか。それはつまるところ、自分で考えることの放棄ではないか。考えるということはどういうことなのか。そういったことを、現在と過去の日本の世相を比較しながら検討した本だ。

「コピペ」(コピー&ペースト)では、僕自身印象的な経験がある。mixiの某コミュニティでの議論で、他のサイトからのコピーを少しだけ変えて自分の文章として投稿する輩がいたのだ。引用ではなくて、前後に文を少し付け足して、自分が書いたかのように加工しているのである。主要部分はコピペなので、その一部をコピーして検索すると、すぐ出どこがわかる。コピーであることを指摘されても彼は悪びれることがなかった。

「空気を読む」ということについても、やはり印象に残っている場面がある。数年前、横浜スタジアムでプロ野球の試合を観戦していたときのことだ。近くの席に、やたら元気にヤジを飛ばす観客がいたのだが、ある場面で彼は、確か相手チームのバッターに対してだったと思うが「空気読め!」と叫んだのだ。冗談めかした表現だったのだとは思うのだが、妙に違和感を覚えた。自分は空気を読まない人間でいたい、などと思ったりもした。

上記の二つの経験はそれぞれ腑に落ちない感じを自分の中に残していたのだが、本書はそこに光を当ててくれる感じがして、読んでいて気持ちよかった。反省を促される部分も多々あるのだが。

ちなみに、著者は女性のような名前だが、1955年生まれの男性で、芥川賞作家である。
posted by kunio at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年03月30日

渡辺一夫『敗戦日記』

仏文学者である渡辺一夫の終戦前後の日記、教え子串田孫一への手紙、および随想文。日記のほうは、渡辺一夫の死後、蔵書の整理にあたった教え子の二宮敬氏により発見され、同じく教え子であった大江健三郎の協力のもと世に出た。公表をためらう遺族を説得する二宮・大江両氏の後押しをしたのは、日記にあった次の言葉だったという。

「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持ちで生きたかが、これを読めばわかるからだ。」

日記を読んで驚かされるのは、著者の思想の一貫していること。戦争中と終戦後を比べれば、日本における支配的な思想も世論も180度異なるわけだが、その嵐の中で著者の思想は揺らがない。

このことは、当時の渡辺一夫を身近に知る加藤周一氏が『羊の歌』で次のように書いていることでも証明されるだろう。

---
しかし私がいちばん強い影響を受けたのは、おそらく、戦争中の日本国に天から降ってきたような渡辺一夫助教授からであったにちがいない。渡辺先生は、軍国主義的な周囲に反発して、遠いフランスに精神的な逃避の場をもとめていたのではない。(中略)日本の社会の、そのみにくさの一切のさらけ出された中で、生きながら、同時にそのことの意味を、より大きな世界と歴史のなかで、見定めようとしていたのであり、自分自身と周囲を、内側からと同時に外側から、「天狼星の高みから」さえも、眺めようとしていたのであろう。(中略)もしその抜くべからざる精神が、私たちの側にあって、絶えず「狂気」を「狂気」とよび、「時代錯誤」を「時代錯誤」とよびつづけるということがなかったら、果たして私が、ながいいくさの間を通して、とにかく正気を保ちつづけることができたかどうか、大いに疑わしい。
---

教え子である串田孫一へ宛てた手紙は、言葉づかいは丁寧でありながらユーモアも交えてあり、思いやりを感じさせる内容。教え子というより若い友人に対する文章であった。検索して知ったのだが、演出家の串田和美は、串田孫一の子なのだなあ。
posted by kunio at 01:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 本・文学

2009年03月21日

加藤周一『羊の歌』

加藤周一が1960年代の後半に自分の少年期青年期を回想した自伝的エッセー集。時代としては、日本が太平洋戦争へと傾斜していき、米国と戦争をし、終戦を迎えるまでの時期にあたる。

日本が国をあげて戦争へと傾斜していくなか、一人の若い知識人が戦争の狂熱に冒されることなく国や世の中をどのように見ていたか、どのように生きていたかを本書により知ることができる。

---
小学生は往来の若い女たちに向かって、「パーマネントはよしましょう」と唱い、大学に劣等感をもつ男たちは、電車のなかで、外国語の教科書を読んでいる大学生をみつけると、「この非常時に敵性語を読んでいる者がある、それでも日本人か」と大声で叫んだ。
---

そんな時代。それはまったくの過去の、2009年の日本と大きな距離のある状況だろうか。しかし僕はネットで交わされる議論のなかでしばしば「それでも日本人か」という言葉を目にする。そう叫ぶ精神の先に何があるかを、いま加藤周一の冷静な観察から学ぶことができるように思う。
posted by kunio at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年03月11日

パティ・ボイド/P.ジュノー『パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ』

パティ・ボイドは、ヴォーグの表紙を飾ったこともある一流モデルからビートルズのジョージ・ハリソンの妻となり、ジョージの友人であるエリック・クラプトンの妻となった女性。彼女は、ビートルズがいてストーンズがいてクラプトンがいて、という60年代のロック勃興期の渦中にいた。そして、ジョージ・ハリソンの「サムシング」、クラプトンの「いとしのレイラ」「ワンダフル・トゥナイト」「ベルボトム・ブルース」などのインスピレーションの源となったロックの女神ともいうべき存在でもあった。そんな人の自伝が面白くないわけがない。

『エリック・クラプトン自伝』で赤裸々に語られたクラプトンの堕落ぶりを、共に過ごしていた女性の側からの視点で再確認できるのだが、クラプトン自身が語っているよりももっとダメダメな状況だったことがわかる。ドラッグ、酒、女の日々で、女といるところに現れたパティに「出ていけよ。ほっといてくれ。消え失せろ」と言い放ったり、外でもうけた子(のちに事故死するコナー)の誕生や成長をパティに嬉々として報告したり。セックスを拒否したパティに怒鳴りちらし妻の役目を果たしていないとなじり、パティの持ち物を窓から放り投げたりも。パティが気の毒でならなくなる。

一方では、自分のために作曲された「いとしのレイラ」で口説かれたり、結婚した直後、ステージにあげられて目の前で「ワンダフル・トゥナイト」を歌われたりと、あり得ないような経験、まさにロックの女神的な経験もする。なんとプラスとマイナスの振幅の激しい人生であることか。

現在パティは写真家として活躍しているそうだ。公式サイトには、ジョージ・ハリソンやクラプトンの私生活の写真が多数掲載されているので、ご興味のあるかたはどうぞ。
posted by kunio at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年03月08日

飯間浩明著『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』

題名から想像されるような、論理的・非論理的とはどういうことかといったような抽象的な話はなく、文章を「日記文」と「クイズ文」の2種類に分け、考えを伝えるのに適した「クイズ文」に的を絞ってその書き方を詳しく解説したもの。

日記文というのは、主として出来事を書いて、場合によって、それに対する感想を加えた文章。日記、ブログ、新聞記事、小説、これらはだいたい日記文だという。

クイズ文は、問題・結論・理由の3つを備えた文章。問題を提起し、その結論を示し、その理由を書くという構成。考えを伝えるのに有効な形式だという。論文、企画書などが該当するだろう。

本書は、論文を書く必要のある学生、企画書の類を多く書くビジネスパーソン、ネットで(=文章で)よく議論をする人によいかもしれない。
posted by kunio at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年03月03日

湯浅誠『反貧困――「すべり台社会」からの脱却』

著者の湯浅氏のことは、昨年後半、貧困問題を扱ったいくつかのテレビ番組で知った。ホームレス支援など10年以上に及ぶ反貧困の現場で活動してきた経験と広い知識に裏付けられた発言には非常に説得力があり、著書を読んでみたいと思っていた。

本は期待以上の内容で、日本の貧困の実態、セーフティネットが十分に機能していない実情、それをなんとか補おうとしている反貧困のさまざまな闘いの状況などが紹介されている。

副題の「すべり台社会」というのは、こういう意味。日本には、本来、雇用のネット、社会保険のネット、生活保護などの公的扶助のネットという3層のセーフティネットがある。正社員として働き(あるいはその扶養家族として暮らし)、各種の保険料、税金もきちんと納めているという人ならば、そのネットはある程度機能する。しかし、いったん非正規社員となり、そして失業してしまうと(雇用のネットからの脱落)、その下の社会保険、公的扶助のネットにもかからず一気にネットカフェ難民やホームレスになってしまうという状況があるという。足をすべらせたら最後、どん底まで落ちてしまう、これが「すべり台社会」であり、日本はそのような国になってしまっている。

このような状況の根本原因の一つに、貧困の存在を認めない行政の姿勢がある。「日本で餓死する人などいない」というような意見は誰しも耳にしたことがあるのではないか。しかし、現実には年間数十人規模の餓死者が存在するのがこの国の実態だ。「生活保護があるのになぜ餓死するのか」という疑問がすぐにも湧いてくるが、役所窓口は何かと理由をつけて生活保護を受けさせないという。これを「水際作戦」というのだそうだ。

貧困をめぐる議論でよく出てくる「自己責任論」についての反論もなされている。湯浅氏は、貧困の構造的な原因を「5重の排除」という言葉で整理している。「5重の排除」については、ウィキペディアの「湯浅誠」の項やアクティオ・ネットワークのインタビュー記事に説明があるのでご興味のある方は参照してほしい。

posted by kunio at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年02月17日

「自分は割れる卵の側につく」村上春樹

村上春樹がイスラエルの文学賞であるエルサレム賞を受賞し、その式典のためにイスラエルを訪問したという。この賞が欧米系の言語以外で書く作家に授与されるのは初めてだそうなので、日本文学にとっても朗報というべきことだと思う。

ただ、村上春樹に対しては、イスラエルによるガザ侵攻に抗議するために受賞を辞退すべきだという声が少なくなかったようだ。現在、ガザは小康状態のようだが、問題が解決したわけでもないので、その声ももっともなものだと思う。

村上春樹は、受賞スピーチで、受賞をボイコットすべきだという声があったことを紹介し、次のようなたとえ話をしたという。

・「高い壁」とそれにぶつかって割れる「卵」があり、いつも自分は「卵」の側に付く。
・爆弾犯や戦車、ロケット弾、白リン弾が高い壁で、卵は被害を受ける人々だ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009021600026

賞をもらったうえでたとえ話でイスラエルを批判することは、妥協的な行為に思う人もいるかもしれない。しかし、相手の国に赴いてそこで批判を述べること、批判の言葉をそこにいる人々に伝えることは、勇敢なことだと思うし、批判を伝えるうえでも効果的な方法なのではないかと思う。
posted by kunio at 07:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年01月10日

谷口ジローを読む喜び

最近、『冬の動物園』、『坊ちゃんの時代』第4部・第5部、『父の暦』と谷口作品を立て続けに読んだ。関川夏央が原作を書いている『坊ちゃんの時代』は、大好きな作品で、掛け値なしの傑作だと思う。他の2冊も悪くなかった。
いまの僕にとっては、漫画を読む幸せ・喜びの最上のものが谷口ジローの作品にあるという感じがする。絵を見ること自体が喜び。幅広く漫画を読んだうえでの話ではなく、非常に狭い経験に立っての個人的意見なのだが。

週刊プレイボーイに連載されていた『Live!オデッセイ』も最高だったなあ。
posted by kunio at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2009年01月03日

荒岱介著『新左翼とは何だったのか』

自身が新左翼団体のリーダーであった著者による新左翼のわかりやすい解説書。終戦からの労働運動・学生運動から現在に至るまでの、大きなくくりでの左翼運動を俯瞰しながら、そのなかでの新左翼誕生、発展、行き詰まりなどを平易に説いている。“中にいた人”ならではの、実体験に基づいた話や、活動する側の心情がよくわかる解説が興味深い。内ゲバについては、その凄惨さ、不毛さが強く訴えられており、これもまた身近な人間を内ゲバによって失った者ならではといえる。

新左翼の活動家のその後の進み方として、マスメディア関係や学者というのがあるようだが、著者は環境保護運動に関わっている。そのパターンも少なくなさそうだ。
posted by kunio at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2008年12月25日

マルクス、エンゲルス著『共産党宣言』

「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」という有名な出だしと、「万国のプロレタリア団結せよ!」というさらに有名な結びの言葉を持つ、あの『共産党宣言』。恥ずかしながら、通読するは初めてのこと。
その是非はおくとして、これほど世界に影響を与えた本はないのではないだろうか(あるとすれば聖書とコーランくらいか?)。20世紀の全体を通じて世界を揺れ動かした共産主義運動は、震源をさかのぼっていけば19世紀半ば(1848年)に出版された本書にたどりつくといってよいだろう。異端的であったとはいえかの連合赤軍事件も、広い意味では共産主義運動の一部として存在する。

本書の基本的考え方は、人類の歴史というのは支配する側とされる側という二つの階級の闘争の歴史だということ、そして、階級闘争の歴史は、貴族が支配する側となる封建主義社会から、資本家(ブルジョア)が支配する側となる資本主義社会へと発展し、最終的には労働者(プロレタリア)が支配する共産主義社会へと至るということ。(理解が間違っていたら、ごめんなさい!)

途中まではすごく納得がいくのだ。表現も豊かだし。「近代的国家権力は、単に全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない」などというある種ユーモラスな断定には、笑ってしまう。そして、軍産複合体の意向どおりに戦争を行う国、企業献金で支えられた政党が国政の主流を占める国、そういった現実を見ると、マルクスたちの指摘はこの21世紀においてもいまだ有効だと言わざるをえない。

こんなのはどうだろう。「ブルジョア階級は、生産用具を、したがって生産関係を、したがって全社会関係を、絶えず革命していなくては生存しえない。(中略)生産のたえまない変革、あらゆる社会状態のやむことのない動揺、永遠の不安定と運動は、以前のあらゆる時代とちがうブルジョア時代の特色である。」
「自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる。どんなところにも、かれらは巣を作り、どんなところをも開拓し、どんなところとも関係を結ばねばならない。」
「ブルジョア階級あ、世界市場の搾取を通して、あらゆる国々の生産と消費とを世界主義的なものに作りあげた。」

まるで現在の多国籍企業とグローバリゼーションのあり様を説明する文章のようではないか。繰り返すがこれが出版されたのは1848年である。

しかし、全部が全部、納得がいくというわけではないのだなあ。たとえば、こういう部分。「共産主義はだれからも、社会的生産物を取得する権力を奪わない。ただ、この取得によって他人の労働を自分に隷属させる権力を奪うだけである。 私有財産の廃止とともに、すべての活動がやみ、一般的怠惰がはびこるであろう、という異論がある。 この考えにしたがえば、ブルジョア社会は、怠惰のためにとうの昔に破滅していたにちがいない。なぜなら、この社会では、働くものは儲けない、儲けるものは働かない、からである。」
マルクスたちの規定よれば、労働者は徹底的に搾取されるから、いくら働いても儲けられないのだ。それでも労働者は勤勉に働いているのだから、企業が国有化されても同じように勤勉であるはず、ということになる。

このあたりの主張については、日本に暮らす人からすると違和感があるのではないだろうか。いまでこそ格差の問題が叫ばれるようになっているが、かつてはこつこつ働いて小さいながらも家を持ち、年金で老後を過ごすというのが日本の労働者の一般的な人生ではなかったろうか。つまり、働けばある程度は儲かった。そして儲ける人のほうも、そういう人はなおさら働く必要があった。日本はそういう社会だったように思う。

マルクスらの規定から日本の労働者のあり方がズレているのは、日本の資本主義が社会主義的手法を取り込むことで(「世界で最も成功した社会主義国」と揶揄的にいわれもした)バランスを取ってきたからなのか。あるいは、新左翼のいう日本帝国主義!がアジア諸国の搾取の上に繁栄を築いているということなのか。あるいは、単にマルクス主義の限界なのか。

それから、社会主義を採用した国がどうなるかということについても、我々はもうその実例を知っている。社会主義国の公務員の多くが勤勉かどうかということについても(僕も80年代に中国で体験した)。それもまたマルクスらの規定はずれている。これは、現実の社会主義国が、正しく社会主義を実践しなかったからなのか、あるいは正しく実践した結果なのか。

探究しはじめるときりがなさそうなので、老後の楽しみに取っておこうか。
posted by kunio at 10:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2008年11月26日

縣正三『犯罪の風景 ある日、ある場所で。』

さまざまな事件現場の「いま」を写した写真集。その多くは、僕ら日本人にとってありふれた景色なのだが、暗いトーンの精緻な写真を眺めつつ、添えられたコピーで解説されている事件の様相を想像すると、それが実に荒涼とした光景に見えてくる。

その荒涼は、あるいは僕らの日常のなかにひそむものといってもよいかもしれない。僕たちが住むこの土地は、その1か所1か所に長大な歴史の積み重ねがあって、ここで誰かが憎まれ、誰かが殺され、といったことも繰り返されてきたわけだし、それはこれからも続いていくことだろう。荒涼の欠片はそこかしこに埋もれているのではないだろうか。

しかし、大きな事件、むごたらしい事件が起きた場所というのは、その地形なり地理上なりの、ある種の必然性もあるのかもしれない。山道のどん詰まり、夜は人気がなくなるであろう工場地帯の空地、都会の団地……、事件の経過を見ると、その場所がたまたま選択されたというよりも、そこが選択されてしまった理由があるようにも思えるのだ。だから、逆にいうと、たとえばそこにもし1本の木が立っていたら、あるいは立っていなければ、事件の様相も少し変っていた、などということもあるかもしれない。

2000年前後に撮影されたと思われるあさま山荘の写真も掲載されている。あの事件のときは3階建てだったが、写真でみると、かつては高床のようになっていた下の部分が地下として増設されているようだ。全体の形は当時のままだが、木々に囲まれたクリーム色の建物の落ち着いた雰囲気からは、ここで壮絶な銃撃戦があったということが想像しがたく感じられる。
posted by kunio at 13:25| Comment(4) | TrackBack(0) | 本・文学

2008年11月12日

永田洋子とかつての同志たちとの再会

『続 十六の墓標』に、逮捕から1年を経た1973年の初公判で永田洋子が他のメンバーと再会する場面が描かれている。印象的なので、それを引用しておきたい。

最初は坂東国男との再会。
---
 それにしても、二月六日の初出廷は、私にとっては感動的なものであった。それは逮捕されてから、既に一年という歳月がたっていたからであり、その間ばらばらになり、同志殺害の誤りを直視せざるをえなかったりして、各々大変な思いをしてきたからである。森さんの自殺もあり、それだけに同志的に共に闘っていこうという熱い思いがあったからでもある。連赤総括をし再生し闘おうという思いで、顔を合わすことができたことは、何にも勝ることだったのである。
 初出廷はマイクロバスに乗せられた。まもなく坂東さんも私と同じマイクロバスに乗ってきた。坂東さんは静かな笑顔を見せてくれた。坂東さんは同志として、指導者として森さんを慕っていた。そのため、私はまだ一カ月しかたっていない森さんの自殺に、ショックを受けているのではないかと案じていた。
 しかし、坂東さんは闘志を秘めているようだった。やせてもいず、外にいた時の坂東さんそのままだった。坂東さんと私は感慨深い静かな笑顔をかわしたのである。
---


もしかしたら坂東氏のほうは、笑顔を見せていたにしても、もう少し冷たい気持ちであったかもしれない。吉野氏のほうは、もっと無邪気な反応をしている。

---
坂東さんに続いて吉野さんが乗ってきた。両手錠をされ両脇に看守がおり、そのために神妙にしているように見えたが、乗る前に私と目が合うと、顔中・体中で笑い、両手錠をあげ、そこでパチパチとたたいた。やせている人だったが、更にやせ顔は細長くなっていた。しかし黒いふちの眼鏡をかけた吉野さんは、私のよく知っている吉野さんだった。
 私はこの吉野さんに胸が一杯になり涙もにじんだが、顔中・体中で笑ってくれたこの吉野さんの姿を決して忘れることはできない。
---


坂口・植垣両氏とは、法廷内で顔を合わせる。

---
 初法廷では、私たち被告は、弁護士の机の前に二列に座らされた。それでも、「生き残ってしまった」私たち、坂口さん、吉野さん、坂東さん、植垣さん、そして私の五人が一堂に会することができたのである。その空気は法廷を思わせず、山岳ベースでの同志愛を更に濃縮させたものに思えた。週刊誌には、「同窓会の雰囲気」と書かれもした。
---


しかし、獄中での論争で対立していた坂口氏は、心を許す態度ではなかったのだ。

---
 私は吉野さん、坂東さん、植垣さんと各々しっかり握手した。植垣さんは白のトックリセーターの上にブレザーを着ていた。いくらか長くなった髪と黒ブチ眼鏡が落ち着きを見せていた。
 ところが、顔中ヒゲだらけで顔の表情を見せない坂口さんは、私とは握手しようとしなかった。しかし私は握手をしたかった。それで強引に手を出したが、それに坂口さんは大儀そうにちょっと手を出すだけだった。私はそれでもちょっとうれしかったが、その自分に腹がたち、屈辱も感じるのだった。そして、重苦しい気持ちになるしかなかった。
---


山岳ベースでの暴力的総括が始まったとき、永田洋子はしばしば動揺し、手がふるえるということがあり、そんなときは夫である坂口氏が手を握ってあげた。そういう場面が『十六の墓標』に何度か出てくるのだ。しかし、逮捕以前に、永田洋子の側から別れる(そして森恒夫と結婚する)という通告があり、夫婦の関係を解消し、さらには獄中での論争の対立もあり、この法廷の時点ではもはやかつての温かい関係は望めない状況だった。後の公判の、被告・弁護団の打ち合わせで再会した際には、次のような場面もあったという。

---
 そのため、私は公判前の被告・弁護団の打ち合わせの時に、「どうして『共産主義化』の闘いがあったことを認めないの」と問わずにはいられなかった。しかし、坂口さんは何も答えなかった。私は納得できず、坂口さんの袖を握り、ちゃんと返事をしろと言わんばかりに、「どうして」と迫った。これに坂口さんは、私が握っていた手を荒々しく振りはらい、「既に答えているはずだ」と吐き捨てるように言った。これに、私は泣いてしまった。(中略)
 しかし、私はこの態度を何としても許せなかった。そして、私は坂口さんと性関係があったことが耐えがたくなるのだった。まさに消しゴムでゴシゴシ消せるものなら消してしまいたかった。
 私は、今後どういうことがあろうとも、誰とも性関係だけは持つまいと決心し、それを何回も誓うのであった。死刑囚予備軍の私がこう決心し、かつ誓うことは、自分でも滑稽だったが、それでも誓わずにはいられなかった。
---



posted by kunio at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2008年11月05日

永田洋子と坂口弘 その2

引き続き『十六の墓標』を読んでいる。

真岡の銃砲店から銃を強奪したあと、警察の捜査を逃れるために革命左派の幹部たちは北海道に潜伏することを決める。その北海道「旅行」は二人ずつのグループに分かれての移動となるのだが、永田洋子は坂口弘と一緒の組となる。すでに「夫婦」となっている二人であったが通常の夫婦のような情愛は持たないスタートであった。それが、この北への逃亡の場面には、どこかほのぼのとしたカップルの雰囲気が漂う。

---
夜遅く青森駅に着いた。駅前の大きな広場は少し吹雪いており、赤ちょうちんの居酒屋が店をあけている位だった。私と坂口氏は駅から少し歩いたところの旅館に泊った。この旅館はいかにも北国のうらぶれた旅館という感じで、廊下や階段は狭く暗かった。泊った部屋は隣の部屋とふすま一つへだてただけだったが、あたりは深閑として部屋のなかにあるストーブの音だけがした。このストーブは木をもやすもので、坂口氏はめずらしそうに盛んに木をくべていた。(中略)
 函館に着いても警備体制が敷かれているということはなかった。函館から倶知安まで汽車に乗った。広大な原野を汽車が走っているようで、窓から見える雪景色は目を楽しませた。ニ・一七闘争後、あわてて北海道に逃げて来たことを忘れてしまう程だった。汽車に乗ったら汽車からの景色を楽しまなければ損だといい、いつもそうしていた坂口氏は、この時も感嘆の声をあげ風景に見入っていた。途中でカニの駅弁を買って食べたが、おいしかった。坂口氏がこのカニの駅弁をおいしいといって食べていたので、私の分も半分以上坂口氏にあげた。
---

文章からは、永田洋子がこの道程に少しだけ新婚旅行気分を味わっているような雰囲気も感じられないだろうか。きっとはたからは若い夫婦か恋人たちのつつましい旅行というように見えたことだろう。1971年2月の話だ。この数カ月後には、彼らは二人の仲間を殺害し、さらにその数カ月後には12人に及ぶ仲間を総括の名の下に殺害していくことになる。
posted by kunio at 22:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

永田洋子と坂口弘

永田洋子の『十六の墓標』を読んでいる。自己弁護に終始しているというような評があったので、どうかなあと思っていたのだが、読むに堪えないというような本ではなさそうだ。というより、僕は引き込まれるようにして読んでいる。

自己弁護云々については読了後に判断したいが、自分の生い立ちから活動へ入っていく過程や、その活動の詳細、どういう気持ちや考えでいたか、そのなかで自分がどういう間違いを犯していたか、というようなことが詳しく語られており、それは誠実な態度であるように思える。

革命左派の活動エリアが京浜地区であることから、自分になじみのある場所や住んでいた場所の地名が盛んに登場する。もちろん、70年前後のあの時代、僕はまだ北海道の小学生であって、時差はあるのだが、横浜のスカイビルだとか川崎の元住吉だとかそういう地名が出てくるたびに「うっ」という感じになる。工業地帯で労働者も多いことから、ある意味ではそういう土地だということも言えるのかもしれない。彼らが通り過ぎた十数年後のことだが、そのエリアに住み、川崎で活動家の女性と知り合い、集会に参加したりというようなことがあったのだが、そういうことも、あのエリアゆえのことだったかもしれない。

ところで、坂口弘の著書では、永田洋子は人物そのものが酷評されていて、元夫婦だったが逮捕後には激しい論争をし、関係が悪化したものの、坂口氏の側の努力でなんとか修復に至った、というようなことが書かれていた。これが永田さんの側からみると、だいぶ違ったようすらしい。坂口氏の著書から浮かぶ「坂口弘」像はいくぶんヒロイックなのだが、永田さんの著書から浮かぶ「坂口弘」像はそうでもないのだな。同じことが、「永田洋子」像についても言えるわけだが。誰しも自分のことは美しく見せようとしてしまうものなのかもしれない。

二人の結婚のいきさつについては坂口氏の著書にははっきり書かれていなかったと思うが、永田さんは辛らつな筆致で描いており、それが坂口氏の一面をよく表しているように思うので、引用しておきたい。

羽田空港へのテロで坂口氏に7年の求刑が出た直後の話だ。

---
坂口氏は、他方、私に、
「好きです。結婚して下さい。あー、恥ずかしい。もう二度といわないぞ。プロポーズされるのは初めてだろう。うれしいだろう」
といって、結婚を要求した。(中略)しかし、これは下獄前に、性を知っておきたいという本音に基づくものであった。坂口氏は、私に娼婦の役割を求めたのだった。(中略)
私は、坂口氏を信頼してはいたものの、坂口氏に恋愛や性愛の感情を全くもっていなかったので、この要求を唐突に感じるしかなかった。それで、はじめは断った。後日、これにたいし坂口氏は、
「7年の求刑が出ている者に断るのは、薄情だ」
「冷たいじゃないか」
といって、ますます女性利用主義の態度を露骨に表した。
---

しかし、永田洋子は結局、この要求を受け入れる。彼女は、組織の指導者だった川島という男に強姦されており、そのことから「性愛的感情を捨て去っていた」ためでもあり、下獄する坂口氏に同情する気持ちもあったからだ。それでも、性的関係をもったあとでは、愛情を育みたいという気持ちも生じてくる。しかし、坂口氏のほうは「(政治上の)路線が違ったら別れようぜ」と言ったという。

永田洋子が会合のあと、具合が悪くなって道端に座り込んでしまったとき、ちゃんと歩けない彼女を坂口氏が殴るという場面も描かれている。

人間関係というのも、両方の側から見てみないとわからないものだな。
posted by kunio at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2008年10月09日

姜尚中著『悩む力』

生きていくことの悩み、自我、金、知性、青春、宗教、労働、愛、死、老い、これらをテーマに、著者の在日としての人生経験と、いまから100年前の世界で近代化の矛盾を見つめていた夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに語った本。ちょっと前の「〜力(りょく)」本ブームに便乗した感のある企画だけれど、主張は真摯なものと思う。最後のほうで語られる著者の「夢」は、かなり意外。
posted by kunio at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学