2010年10月24日

『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳、早川書房

 進化論は「論」と付くということから、一つの理論、仮説にすぎないのだ、という意見がある(僕自身、知人がそう話すのを聞いたことがある)。本書は、そのような意見に対する反論であり、進化が疑う余地のない事実であることを数々の証拠でもって証明する本である。
 なぜドーキンスが600ページに及ぶ大著でわざわざそのような証明を行わなければならなかったのか。少なくとも日本では、ドーキンスが奮闘するまでもなく、多くの人が進化論を信じている。しかし、米国では事情が大きく異なる。本書の付録で紹介されているのだが、2008年のギャラップの調査によると、こうだ。
---
 人類の起源と発達について、以下の発言のうち、どれがあなたの考え方にもっとも近いでしょうか?
1 人類は何百万年のあいだに原始的な生物から発展してきた。しかし、この過程は神によって導かれた(36%)。
2 人類は何百万年のあいだに原始的な生物から発展してきた。しかし、この過程に神はかかわらなかった(14%)。
3 神は人類を、現在と非常によく似た姿で、ここ1万年ばかりのうちに一遍で創造した(44%)
---
 カッコ内の数字は、それを選んだ人のパーセンテージ。1808年ではなく2008年の調査である。1はまだしも3のように考える人が44%というのは衝撃的結果で、ドーキンスがこの本を著そうとした動機がわかるというものではないか。英国でも、米国ほどではないにしろ、似たような状況であるらしい。これは書かねばならなかった本なのである。
 中身は、難しい事柄をわかりやすい比喩で流麗に語る、いつものドーキンスの筆致。
posted by kunio at 19:14| Comment(3) | TrackBack(1) | 本・文学

2010年10月07日

「やまと魂」について

 輪島功一が何回目かに世界チャンピオンになったとき、「これがニホン魂だ」とリング上で叫んだのを覚えている。それはヤマト魂の間違いだろうが輪島らしい、というようなことを沢木耕太郎が書いていたように思う。
 ここでいうヤマト魂とは、勝利のために忍耐強く命がけで頑張る精神というような意味と解釈するのが一般的ではないかと思う。広辞苑には「日本民族固有の精神。勇猛で潔いのを特性とする」という解説があるのだ、これに相当するものだろう。ちょっと軍国主義時代の匂いも漂よってくる言葉だ。
 しかし、しかし。実をいうとその広辞苑の解説は第二義のものであって、第一義はこうなっている。「漢才すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能」。これはなにも広辞苑が勝手に定義しているわけではない。実際、そのような用例がいくつも『図書』10月号の「合戦における智謀と機略――騙りの哲学(三)」(山本幸司)に紹介されている。大和魂というのは、敵ばかりか味方すら出し抜くような機略、機知、もっといえば悪知恵のようなものまで含めた実際的な才能のことのようなのだ。すなわちそれは、「知性の働き方の問題であって、倫理的な是非ではない」という。折口志信は、大和魂を「儒教の道徳観念とは、常に衝突するやうなものなのである」とも言っているそうな。
 サッカーにおいて「日本人にはもっとマリーシア(ズル賢さ)が必要」と言われたりもするが、なんのことはない、それはそもそも大和魂としてこの国にあったものだったといってもいいだろう。広辞苑の定義する第一義から第二義のほうへ、ある時期から日本人の思考がシフトしてしまったことで、それがどこかに置き去りになってしまったのかもしれない。
 先日書いた記事「『翻訳と日本の近代』丸山真男・加藤周一著、岩波新書」で、国学者本居宣長が、死に際において素直に狼狽の気持ちを表した在原業平の態度を、大和魂だと褒めているという話を紹介した。これもまた、「勇猛で潔い」という第二義とは違うようだ。しいていうなら自らの恐怖を認めるにおいて「潔い」ということかもしれない。いずれにしろ、勇猛さとは違うものを指して本居宣長は大和魂という言葉を使っている。
 ともかく、勝利のために忍耐強く命がけで頑張る精神みたいな意味は「大和魂」という言葉にはないようだ。もし日本の伝統を大切にしたいのであれば、僕らは、そのような意味で「大和魂」という言葉を使うべきではなさそうだ。
posted by kunio at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年09月22日

『翻訳と日本の近代』丸山真男・加藤周一著、岩波新書

 明治初期を中心に、日本の近代化のなかで翻訳が果たした役割や、当時の翻訳のあり方、翻訳にかかわった人たちなどについて知の巨匠二人が縦横に語った対談。校正での修正や書き足しがあるとして、その分を割り引いても対談でここまで幅広く奥深い話ができるということに驚嘆する。対談と書いたが、正確にいうと、加藤が丸山に話を聞くという形なので、割合でいうと丸山の語りのほうが多い。
 明治初期、西欧に追いつくという国家的要請もあったうえ、大衆レベルでも文明開化の大ブームのなかで翻訳書はよく読まれていたらしい。丸山真男によれば、明治16年に翻訳書の読書案内『訳書読法』という本が出ており、そこに「方今、訳書出版の盛んなるや、その数幾万巻、ただに汗牛充棟のみならざるなり」とあるそうだ。「つまり、翻訳洪水なんだな。みんな翻訳に溺れている。現代と同じなんだ。翻訳が幾万巻というのはオーバーにしても、すでに翻訳文化の時代だった」(丸山)ということらしい。
 西洋文化の導入に貢献した福沢諭吉のことは、さまざまな場面で登場する。たとえば、演説(speech)、賛成(second)、討論(debate)、版権(copyright)、これらの言葉は福沢の作った訳語だそうな。「総計300万部出た『学問のすゝめ』のうち、実質20万部くらいを除いてほとんどが偽版で、こういう問題に悩まされた福沢らしい造語ですね。」(加藤)
 翻訳論からの脱線もあり、それがまた面白い。たとえば本居宣長に関してこんなことを丸山が述べている。
---
『玉勝間』といえば、あれには契沖を褒めているところがあって、その褒め方がまたおもしろい。契沖が在原業平の辞世の歌を激賞しているのです。「つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのうけふとは思はざりしを」。死際にいかにも悟ったようなことを詠むものがいるけれど、それは嘘で、業平のように狼狽するのが当たり前だと。かねて死ぬとは思っていたけれどもこんなに早いとは思わなかった、という人の真心が実によくあらわれていると契沖が褒め、それをまた宣長が大和魂だと褒めている。ぼくは戦争中に講義しながら、大和魂というのは本来こういう意味だったかと。
---
 どひゃーって感じじゃないですか。素直に狼狽するのが大和魂か。
 こんな楽しいやり取りも。
---
加藤 (前略)「すべての」と「若干の」「ひとつの」「任意のひとつの」ということについて、英語ではかなりの程度まで、冠詞を使って表し、それからallとかsomeとかいう言葉でも表すでしょう。それは日本語ではふつう言わない。「江戸時代の幾人かの侍が……」とか、「すべての侍は……」とは言わない。ただ「侍は……」と言う。冠詞がないのですから、わからないですね。これを訳でどういうふうにしているか、というのはとてもおもしろいことだと思うのです。
丸山 いや、訳だけではなくて……。自分のことを言ってはおかしいけれど、大学紛争のときに、全共闘の学生が「学生は……」と言うから、「あんたの言う学生とは、誰のことですか」と聞いた。安田城に籠っている人たちなのか、別の学部に籠っている反対派なのか、それとも参加していないノンポリなのか、と。ちょっと意地の悪い挑発だけどさ、一般的にはそういうことですよ。
---
posted by kunio at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年09月19日

「わいだめ」

 もう一つ、中原中也がらみの話を。
 中原中也に「無題」とという連詩がある。

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらはしさを歎いてゐる、そして


 というふうに始まる。この連詩のUに、こういうくだりがある。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折りに心が弱り、弱々しくさわぎはするが、
しかもなほ、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!


 「わいだめ」ってなんだろう。いま久しぶりに広辞苑を開いているのだが、それよると「弁別 (古くはワイタメ) 区別。けじめ。わかち。」とある。上の詩の文脈からすると「けじめ」がぴったりきそうだな。「わいだめもない世の渦の中に」を「けじめもない世の渦の中に」と解釈すれば、少しわかる感じがする。ごちゃまぜの混沌とした世の中、というニュアンスか。あるいは、善と悪のけじめもない、という感じか。
 わいだめもないブログを読んでくれてありがとう!と、応用してみる。
posted by kunio at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

中原中也、渡辺一夫、大江健三郎

 高橋源一郎氏によると、2007年の中原中也賞の授賞式で大江健三郎氏が次のようなことを語ったという(以下、「ニッポンの小説」第31回から引用)。
---
 障害を持った子どもが生まれたことを知った、大江さんの恩師の渡辺一夫さんは、大江さんを自宅にお呼びになった。渡辺さんから、どうするのかと訊ねられた大江さんは、その子と生きてゆきますと答えた。すると、渡辺さんは、書斎に入り、しばらくして、一冊の本を持って現れた。中原中也訳の『ランボオ詩集』だった。
 昭和十二年。前年に息子を亡くした中也が、失意の中で、2冊目の詩集『在りし日の歌』の清書をし終えた頃のこと。突然、渡辺さん宅を訪れた中也は、刊行されたばかりの『ランボオ詩集』を置いて立ち去った。中也が亡くなったのは、その翌月のことだ。
 渡辺さんが大江さんに渡したのは、その詩集だったのである。
----
 その渡辺一夫宛ての署名のある本は、大江氏から寄贈されて現在は中原中也記念館にあるようだ。

 秋の夜は、はるかのかなたに、
 小石ばかりの、河原があって、
 それに陽は、さらさらと
 さらさらと射しているのでありました。

 (中原中也「一つのメルヘン」より)
posted by kunio at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年09月10日

中江兆民の見た坂本龍馬

 孫引きになるのだが、復本一郎氏の「『一年有半』――私註『病牀六尺』」(岩波書店「図書」2010.8所収)によると、幸徳秋水が編さんした『兆民先生』に、中江兆民が坂本龍馬について述べた言葉が記録されているそうだ。
予(兆民)は当時少年なりしも、彼(竜馬)を見て何となくエラキ人なりと信ぜるがゆえに、平生ひとに屈せざるの予も、彼が純然たる土佐訛りの言語もて、『中江のニイさん煙草を買ふて来てオーせ』などと命ぜらるれば、快然として使ひせしことしばしばなりき。彼の眼は細くして、その額は梅毒のため抜けあがりいたりき。
 少年時代の中江兆民と坂本龍馬という取り合わせがまず面白い。二人は同郷とのことなので、このように接する機会があったのだろう。慶応元年(1865年)の話だそうだから、竜馬29歳、兆民17歳か。竜馬の泰然としたさまも目に浮かぶようだ。梅毒で額が後退しているという描写にはちょっとビビッてしまうが。
posted by kunio at 10:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年08月21日

『茗荷谷の猫』木内昇著、平凡社

 巣鴨、品川、茗荷谷、市ヶ谷、本郷、浅草、池袋、池之端、千駄ヶ谷という東京の局所を舞台に、江戸時代末期から昭和の高度成長期まで時代設定をずらしながらそこで暮らす庶民の生活、人生を描いた短編シリーズ。
 哀切あり、笑いあり、恐怖あり。内田百フなども登場する。ある短編で描かれた家であるとかエピソードであるとかが他の短編にも少し顔を出したりして、微妙に短編どうしのつながりが設けられている。そのため、全体を読みおえると、一つの家なり土地なりで積み重ねられてきた人々の営み、歴史が感じられるようである。
 著者の名前は「のぼり」と読み、女性であるらしい。読んでいて、女性とは思わなかった。
posted by kunio at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年08月17日

村上春樹ロングインタビューより

――人を殺すというような行動につながっていかないまでも、見えないかたちでシステムによって強制されていることを、あたかも自分の意見で選択ように思っていることがあるということですね。
村上 そうです。そういうことは、みんなが考えているよりずっと簡単に起こりうるんです。青豆は、自分のまわりで世界を閉鎖させるまいとする意思がきわめて強い女性です。子どものころ、彼女は親によって、「証人会」という宗教団体の世界に閉じ込められ、信仰を強制されていた。でも、十歳のときに天吾と手を握りあったことがきっかけになって、そこから抜け出そうと心を決めます。そのときサーキットが開けるんです。彼女はその「開けて出ていく」という感覚を鮮やかに持ちつづけている人です。彼女が生きていくにあたって、それが何より重要な資格になります。自分の頭で考え、自分で判断を下すことが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
――女性をこのように前面に出して、まさしく「意志する女性」を描こうとされたのは、なぜなのでしょうか。
村上 女の人のことをだんだんわかってきたということがまずありますよね。経験を積んでいるというわけではないんだけれども、昔わからなかったことがわかるようになってきた。(中略)
 若いころにわからなかったことはというと、たとえば女性の性欲ですね。女の人に性欲があるというのはもちろんある程度わかるんだけど、それがどんなもので、どんな強さで、どんなふうに出てくるか、若い男にはまずわからない。何か具体的なことがあってわかったというのではないんだけど、年齢をかさねるにつれて、そういうのがなんとなくわかるようになってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
『1Q84』のことを中心した「考える人」2010年夏号のインタビュー。小説は読んでないけれど、インタビュー自体が面白いです。
posted by kunio at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年07月13日

『ルポ貧困大国アメリカII』堤未果著、岩波新書

 2009年時点における米国の貧困の実態を報告。教育、医療、刑務所までもが極端な市場原理主義のもとで歪められているさまは、日本の明日の姿を見るようで恐ろしい。刑務所の受刑者を、不満を言わない、ストもしない、第三世界よりさらに安い労働力として、企業が活用しているという話には、唖然とする。現代の奴隷制度といってよいのではなかろうか。
 市場原理主義は、「自由化」「規制緩和」「官から民へ」などの美名のもとに巧妙に浸透していく。もちろんそれが必要な分野もあろうが、教育、医療、社会保障といった分野については、市場原理はそぐわない。大いに注意すべきことと思う。
posted by kunio at 09:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年07月06日

『日本辺境論』内田樹著、新潮新書

 自国とは別のところに文化・文明の中心があって自分たちのところは辺境に位置している、そういう地政学的な歴史的な条件が日本人の、未知の物への態度、学習の姿勢、文化のありかた、さらには国民性を規定している、というような内容。
 著者自身が「私の主張は要約すると次のようなこと」だとして引用した、梅棹忠夫の言葉をここで孫引きしておこう。
「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している。一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸国民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」(梅棹忠夫『文明の生態史観』)
 日本の特殊性を強調しすぎではないかと思う部分もあるし、武道を例にした「機」の思想や哲学的考察には、正直ついていけなかったけれども、物事が場の「空気」で決まっていくこと、他国との比較でしか自国を語れない国民性など、著者の語る日本人像には頷ける部分が多かった。
posted by kunio at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年06月02日

『向田邦子の手料理』監修・料理製作 向田和子、講談社

『向田邦子の手料理』表紙
向田邦子が日常的に作っていた手料理をレシピと写真つきでまとめ、そこに向田邦子の写真や文章を散りばめた本。

結婚当初、会社の同僚が「簡単に作れる料理が載っているから」とプレゼントしてくれたもので、妻のほうはこれを使っていたこともあったようだが、僕は昨夜21年目にして初めてこの本を参照して料理を作った。余っていて早く使う必要があった茄子で何か作れないかと思って本書を手にしたところ、うってつけの料理(茄子の蒸し物)が見つかったのだ。

これで料理を作ったのは初めてだが、本そのものはこれまでたびたび開いて眺めてきた。向田邦子の写真がいいのだな。じつに美しい。有名になる前のスナップ写真なのにきれいに撮られているのは、プロのカメラマンが恋人だったのではないか、などという説をどこかで読んだことがあるようなないような。

興味深いのは、この人は若いころもきれいなのだが、年齢を重ねるごとにさらにきれいになっていくかのようであること。ときどき、そういう人っているよな。もちろん、肌の張りとかスタイルとかは若い頃のほうが勝っているのだとは思うけれど、化粧、髪型、装い、さらには物腰のような部分も含めた総合的な部分では、人は美しくなっていくことができるのだろうと思う。これは洗練ということも含まれるけれども、それだけではないだろう。

自分にも作れそうな料理がほかにもいろいろあるようなので、これからはもう少し本書を活用しようと思う。
posted by kunio at 08:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年05月28日

『ユルスナールの靴』須賀敦子著、河出文庫

 女性は男性より靴への思いが強い傾向があるように思う。どういう靴を履くかへのこだわりも強いし、こういう場面・服装にはこういう靴というこだわりも強い。それゆえ、男性よりも多くの種類の靴を必要とするようだ。成人女性と成人男性とで、所有する靴の数の平均を比べたら、倍くらい違うんじゃないだろうか。女性は、靴なら何足でもほしいと思っているのかもしれない。通常は靴箱のスペースや経済的な理由で、靴の数は一桁、二桁でとどまるわけだが、その制限がなくなればどうなるか。そのよい例がフィリピンのイメルダ・マルコスだろう。革命で彼女が亡命したあとのマラカニアン宮殿には3000足の靴が残されていたというのだから。
 ああ、最初から脱線してしまった。須賀敦子のエッセイ集『ユルスナールの靴』を読んだのだった。ユルスナールというのは20世紀のフランスの小説家。この本は、ユルスナールの足跡をたどりつつ、ユルスナールの作品世界に思いをはせ、さらにはそこに須賀敦子自身の人生の軌跡を重ね合わせる、といった内容だ。「プロローグ」として、須賀は自身の靴への思いをこう語る。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」。6歳で入ったミッション・スクールで、自身は横でパチンとボタンを留める子供っぽい靴をはかせられている須賀は、シスターたちのはく靴に心を奪われる。「ダンスのレッスンや、ゲームのルールを説明するとき、彼女たちがそっと片手で長い修道服のすそを持ちあげると、漆黒の靴下をつけた細い足首をきっちり包んだ靴が、スカートの下で黒曜石の光を放っていて、私はいきなり西洋を見てしまった気持ちになった。あの靴が一生はけるなら、結婚なんてしないで、シスターになってもいい。そう思うほど、私は彼女たちの靴にあこがれ、こころを惹かれた」。本書は、大きくユルスナールの人生をたどって最後にまた靴の話に戻ってくる。
 ここでまた脱線しようと思うのだが、ざっくりいってしまうと男にとっては靴は実用品であって、女にとってはファッション、もっというなら自己表現手段のアイテムなのではないだろうか。見ばえがよい履きにくい靴を履くことは男には少ないが、女には少なくない。見ばえが悪い履きやすい靴を履くことは男には珍しくないが、女には珍しい。そんなことが言えないだろうか。例外もいっぱいあるとは思うけれど。
posted by kunio at 09:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年05月11日

『掏摸』中村文則著、河出書房新社

第4回大江健三郎賞受賞作。5月16日に中村氏と大江さんの公開対談があるので、それに先立って読んでみたしだい。
内容は、スリを生業として裏社会で生きてきた男の人生の断面をハードボイルド調で描いたもの。感覚を研ぎ澄ませてスリを続ける男の日々、万引きをする母子との交差、男をからめとるように袋小路へと追い詰めていく裏社会、そういった描写に緊張感がみなぎっており、不思議な気持ちよさがあった。
本作を単なる犯罪小説にしていないのは、繰り返し描かれる、男を見下ろすような静かに監視するような塔のイメージのせいだろうか。あるいは、裏社会の黒幕めいた男の語る運命論のせいか。
文体は少し生硬かなあ。
posted by kunio at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年05月03日

『今日よりよい明日はない』玉村豊男著、集英社新書

芦ノ湖の玉村豊男ライフアートミュージアムのミュージアムショップにおいてあったエッセイ集。タイトルが気になって買ってみた。

「今日よりよい明日はない」というのは著者がポルトガルの若者から聞いた言葉。「毎日を満足して暮らせれば、それで十分」という意味だ。著者はこの言葉を導き役に、高度成長を終え、右肩上がりではなくなったいまの日本にふさわしい新しい生き方、とりわけ老後の人生への臨みかたを提案する。

正直なところ全体的な印象としては、本書に示されている生き方は玉村豊男だから可能なのであってそうでない人間には適用しにくいのでは、という気がしないでもないのだが、それでも、ないものを得ようとモガクより、あるものの価値を認め、目の前の現実を精一杯生きていくという考え方には共感を覚えた。
posted by kunio at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年05月01日

『日本文学史序説』(上下)加藤周一著、ちくま学芸文庫

帯の惹句によれば「加藤周一の主著にして、英・仏・独・伊・韓・中・ルーマニアの各国語に翻訳された世界的名著」ということなのだが、そのような位置づけであることが納得のいく質と量の内容だったと思う。文庫本上下巻合わせて1000ページを超える分量もすごいのだが、これだけのものを書くのに必要な読書の量は途方もないに違いない。それを絞りに絞って抽出した極上のエキスがこの1000ページといえる。読了にはずいぶん時間がかかってしまったものの、ページを繰る時間は自分には幸福なひとときだった。

さて、これはどういう本か。簡単に言ってしまうと、古代の『万葉集』から現代作家の作品まで、日本の広い意味での“文学”を総ざらいして日本文化・日本人に固有の性質(土着的世界観)を発見しようと試みた本であり、おそらくそれに成功している本である。ここでいう“文学”には、小説や各種の詩歌など狭義の文学作品はもちろんのこと、日記、手紙、農民一揆の檄文、能、浄瑠璃、歌舞伎、宗教に関する文なども含まれる。それらはすべてその時代に生きる人の精神のあり方を直接間接に表現した記録であるから、土着的世界観を探るうえでの材料となるわけだ。

その方法論について、加藤周一自身が「あとがき」で次のように整理している。
土着の世界観を発見する方法には三つがある。第一、外部からの影響が及ばなかったと推定される古代文献(の部分)を検討すること、第二、地理的に(離島)、または社会的に(地方の大衆)、外国文化の影響の少ない集団の表現を観察すること、第三、外来の体系の「日本化」の過程を分析し、「日本化」の特定方向から、「日本化」を実現した土着世界観の力の方向を見つけることである。第一と第二の方法は、資料の点で、極度に限られる。『日本文学史序説』の目的の一つは、――しかしそれが全部ではない――、第三の方法により日本人の心の奥底、そこに移った世界の姿、土着世界観の構造を知ろうとすることであった。

この「世界観」ほか、日本文化の性格については、本書の冒頭におかれた「日本文学の特徴について」において簡潔にまとめられているので、興味のある方はそこだけでも読むとよいだろう。

しかし、本書の魅力は、それだけではない。文学史をたどりつつ、それぞれの作品の担い手(作者)について人物像を鮮やかに、特には大いなる共感をもって描き出しており、いわば本書全体が、ミニ伝記の集合のような具合なのだ。文学を語りつつ、本書自身がまた文学となっている。本書と加藤周一自身もまた日本文学史のなかにしっかりと位置づけられるべき存在であるといってよいだろう。
posted by kunio at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年04月11日

むずかしいことをやさしく

むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもしろく――という井上ひさし氏の言葉がある、と思っていた。しかしこれは、正確にはこうだったようだ。

むずかしいことをやさしく,
やさしいことをふかく,
ふかいことをおもしろく,
おもしろいことをまじめに,
まじめなことをゆかいに,
ゆかいなことをいっそうゆかいに

(井上ひさし)

だいぶ短く簡略化された形で広まっているということだろうか。これは、「こまつ座」の機関誌「the 座」に寄せられた一文にある言葉だという。

いずれにしろ、この言葉は文章を書く者や何かしら表現をしようという者には大切な指針ではないだろうか。少なくともテクニカルライターにとっては、「むずかしいことをやさしく」というのは絶対に忘れてはならないことだ。僕はずっとそう思っているし、これからもそれを忘れたくないと思っている。

(井上ひさし氏の訃報に接しての覚書として記す)
posted by kunio at 13:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年03月23日

川柳と狂歌

18世紀日本の笑いの文学として、『日本文学史序説』では川柳と狂歌を取り上げている。

川柳は、たとえば「店(たな)中で知らぬは亭主一人也」。これが「知らぬは亭主ばかりなり」のオリジナルか。狂歌は「世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどふぞ敵にめぐりあいたい」(四方赤良)のようなもの。俳句形式なのが川柳で、短歌形式なのが狂歌ということかな。

加藤周一によれば、両者のもっとも重要な違いとして次のことを述べている。「川柳に稀で狂歌において典型的なのは、作者その人の人生に対する皮肉であろう。そこでは、人生の一場面・偶然的な事件・特定の相ではなく、いわば生涯を一貫して変わらぬ一連の本質的な特徴が、問題とされている。もし川柳がある日・ある所での経験を対象とするとすれば、狂歌はしばしば生涯の経験を対象とする」

その実例。

 ねてまてどくらせどさらに何事もなきこそ人の果報なりけれ(四方赤良)

 たのしみは春の桜に秋の月夫婦中よく三度くふめし(花道つらね)

そして人生の対象化の徹底した例として、加藤は聡明は狂歌師の最後の言葉を紹介している。

 食へばへる眠(ねぶ)ればさめる世中にちとめづらしく死ぬも慰み(白鯉館卯雲)


古代から始まった『日本文学史序説』はこれで18世紀を終え、加藤が「第四の転換期」とする19世紀に入る。
posted by kunio at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

加藤周一の本居宣長論

相変わらず『日本文学史序説』を読んでいる(いまは下巻)。
そこにある国学の大成者である本居宣長についての記述。

---
「人のまことの心の奥のくまぐまを探りてみれば、みなただ、めめしくはかなきことの多かるものなるを、ををしくさかしげなるは、みずから省みて、もてつけ守りたるものにして、人に語るときなどには、いよいよ選びてよさにうはべを飾りてこそものすれ、ありのままにはうちいです……」(『源氏物語玉の小櫛』」
これはおそらく徳川時代を通じてもっとも鋭い社会心理学的洞察であり、日本人の精神における「うはべ」と「心の奥」、たてまえとほんね、意識的な価値と無意識的な心理的傾向、外来の「イデオロギー」と伝統的な世界観との関係を、はじめて明瞭に示した文章である。彼の思想はここでこそもっとも深く、もっとも正確であり、もっとも遠く彼自身の時代を超えていた。
---

「彼自身の時代を超えて」いまの21世紀の日本にも届いているのではないかろうか。「まことの心の奥のくまぐまを探りてみれば、みなただ、めめしくはかなきことの多かるものなる…」

加藤周一は、宣長を前記のように評価したうえで、次のように続ける。

---
しかしその後の国学者が継承したのは、文献学的方法の技術的な面を別にすれば、宣長の体系の弱点である。その弱点は二つあった。一つは、神話と歴史との混同であり(したがって天皇制の神秘化)、もう一つは、文化の特殊性と思想の普遍性との混同である(したがってこじつけの著しいナショナリズム)。
---

宣長は、自分の肖像画に次の歌を書き添えて人に配ったという。

 敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花

この歌は、戦前の日本で広く流布された歌であり、いまも多くの人が知っている。宣長の弱点もまた、遠く時代を超えて現代にまで届いているのではなかろうか。

ところで、彼の同時代人である上田秋成についても加藤周一は取り上げ、次の歌を紹介している。

 しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花

秋成は、オランダ人の地図を見て、日本は「ただ心ひろき池の面に、ささやかなる一葉を散しかけたる如き小島」にすぎないと、日本を相対的に見る視野を備えていたという。

加藤は両者を次にように対比させている。「宣長の学問の独創性は、その社会に共通の意識されざる価値観の意識化にあった。秋成の鋭利な観察の独創性は、その社会に共通の明示的な常識の拒否にあった。」
posted by kunio at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年03月18日

加藤周一による武士道批判

『日本文学史序説』上巻「第七章 元禄文化」に、「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」で有名な『葉隠』(山本常朝)についての記述があり、興味深く読んだ。以下、抜粋。(文中「徂徠」とあるのは、儒学者・荻生徂徠のこと)

---
・「武士道」というものはない、「武芸」があるだけだ、と徂徠はいった。
・戦国の風俗を理想化して、「武士道」を唱えることは、戦国時代にではなく、「元禄文化」のなかで、十七世紀末から流行しはじめた現象である。侍が戦っていたときに、「武士道」はなかった。侍がもはや戦う必要がなくなってはじめて、「武士道」が生まれたのである。
・真剣勝負を知っていた宮本武蔵は、戦国武士の生き残りであり、十七世紀初めの『五輪書』は、いかにして相手を殺すかということについての、実際的で技術的な教科書であった。山本常朝はおそらく真剣勝負を経験したことがなく、またその必要もない時代に生きて、いかにして自分を殺すか、という書を書いた。『五輪書』から『葉隠』への100年間は、武士の心がまえが、実戦から割腹へ移った過程に他ならない。
・主従関係の絶対化は、学問をも相対化する。(中略)また武芸も相対化する。(中略)主君へ奉仕する従者の哲学は、主君のために死ぬことを最高の理想とするに至る。(中略)「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」
・『葉隠』の死の哲学は、主従関係の絶対化から出発して、そこにとどまらない。遂にはその目的と効果を問わず、死そのものが讃美されるところまでゆく。もはや主君のための死ではなく、目的のない無意味な死さえもが、崇高化されて、「犬死気違」といい、「気違に成て死狂ひする」といい、「士道においては死狂ひ也」という結論まで導かれる。
・山本常朝は、なぜそれほどまでに死を讃美するようになったのか。おそらく第一に、彼にとっては主従関係が貴重であり、その主人の死が彼の人生の目的を奪ったからであろうと想像される。第二に、彼が行政官として時代に適応することができず、いくさのない時代を憎悪していたにちがいないからである。
・要するに『葉隠』こそは、偉大な時代錯誤の記念碑であった。
・誰も討死にする必要のない時代の討死は、私的な喧嘩にすぎず、「犬死」としかいいようのないものであったから、『葉隠』は「犬死」を讃美したのである。
・その時代錯誤にもかかわらず、『葉隠』が偉大なのは、「私」を捨てて「一味同心」となることを強調し、自己の所属する特殊な集団そのものを価値として、その他のいかなる普遍的な価値(儒・仏・神)もその集団に超越しないとしたからであり、その意味では、まさに典型的に日本の土着思想を代表していたからである。たとえば、「毎朝拝の仕様、先、主君、親、それより氏神、守仏と仕候也」と出家した男がいうのは、「出家」の特殊日本的な意味を語って余すところがないだろうし、この場合に主君と所属集団とは一体化されているから、個人の集団への高度の組みこまれという日本社会の特徴を表現して遺憾ないだろう(この点に関するかぎり、二〇世紀後半の日本人の価値観も、根本的には変っていない。変ったのは、今日の日本で、集団内部の構造、つまり主従関係が、崩れてきたということである)。
---

これを興味深く感じるのは、加藤周一が「日本の土着思想」と看破したとおり『葉隠』的価値観が現在の日本にも生きているし、自分の中にもそれに共鳴する部分がないとはいえないように思うからだ。おそらく、加藤周一が冷徹にかつ手厳しくこの『葉隠』の価値観を批判するのは、自身が戦中戦後を通じこの価値観に大いに迷惑をこうむってきた実体験があるからではなかろうか。
posted by kunio at 11:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学

2010年02月24日

『青い野を歩く』クレア・キーガン著、岩本正恵訳、白水社

アイルランドの荒涼とした自然のなかで暮らす人々の孤独な魂の悲哀を淡々と描く短編集。文体には詩のような味わいがあり、ときに物語は寓話のような雰囲気を帯びる。異国の物語を読む喜びがここにある。

妻の誕生日の贈り物の一つとして用意した本なのだが、そのような贈り物としては不適切であったかもしれない。
posted by kunio at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学