2010年09月29日

映画『Ladies And Gentlemen』

 9月23日に武道館で行われたフィルムコンサートに行ってきたさ。客席は、アリーナでさえ半分埋まっていたかいなかったかという空き具合だったけれども、1972年、ストーンズ絶頂期のライブ映像は素晴らしかったさ。
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映画『ANPO』

 27日、仕事のあと渋谷のアップリンクで観てきた。宣教師の娘として日本で生まれ育った米国人監督リンダ・ホーグランドによる、日米安保条約をテーマとしたドキュメンタリー。日本の画家、映画監督、写真家などアーチストたちが、60年安保をどう感じ、どう表現したかに焦点を当て、インタビューや彼らの作品そのものを紹介することを通じ、安保とは何かを問いかける。
 そう聞くと、なぜいま安保の映画を?なぜ米国人が?という疑問を多くの人が感じるのではないだろうか。しかし、いまも安保条約は存在しているのだし、これは国際社会のなかでの日本のあり方を考えるときに避けて通れない問題のはずだ。普天間基地の問題も、根底には安保条約が存在している。ある意味、いまは空気のような存在になってしまっている安保条約だが、それがそもそもどのようなものだったかを考えるには、その改定を巡って空前の規模の闘争が起きた60年安保の時代を振り返ってみることは有意義なことと思う。
 本作は、それをアートの視点から探ろうとしている。ホーグランド監督の面白い着眼だ。登場するアーチストたちは、会田誠、朝倉摂、石内都、加藤登紀子、串田和美、東松照明、横尾忠則など錚々たる面々。そういう意味では、アートファンにとっても面白い映画といえる。
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2010年08月22日

映画『キャタピラー』

 『実録・連合赤軍』の若松孝二監督の最新作。横浜のジャック&ベティで観てきた。
 日中戦争の戦場で戦い、両手足、聴覚を失って帰還した大日本帝国軍兵士・黒川久蔵(大西信満)とその妻シゲ子(寺島しのぶ)の物語。久蔵は、負傷によって勲章を与えられ、村の人々からは「軍神」として祭り上げられるが、食欲と性欲とのみに生きるしかなく、なおかつ戦場での自らの行為のトラウマからしだいに精神をむしばまれていく。シゲ子は「軍神」の妻として久蔵の世話を献身的に行うが、食欲と性欲に生きる久蔵の姿にやりきれない思いを募らせていく…。
 けして上手に作られた映画ではないと思う。同様の負傷を負った男を描いた映画『ジョニーは戦場へ行った』のような感動もなく、もっぱら帰還兵と家族の惨めで苦しくて悲しい側面を、素朴な(古い?)演出によって描いていると感じた。
 しかしながら、その悲惨さの中心に置かれた夫婦の性生活の描写が強いインパクトを与えることも事実。性生活は、男女のもっともプライベートな部分であり、それゆえもっとも個性や本性があらわになる部分でもあると思う。そこに現れる、いびつさ、醜さ(ある意味では神聖さかもしれない)をこの映画は勇気をもって描いている。そこに大いに貢献しているのが、本作でベルリン国際映画祭コンペティション部門で銀熊賞最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶだ。作品を観た後では、この役は彼女にしかできまい、と思える。
 補足しておくと、本作には大西信満以外にも『実録・連合赤軍』に出演していた俳優が何人が出ていて、前作を何度か観ている者にとっては嬉しいところだ。ARATAも地曵豪も友情出演で短い時間ではあるが、顔を出す。
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2010年08月14日

映画『ペルシャ猫を誰も知らない』

 イランの首都テヘランを舞台に、バンド活動に情熱を傾け、ロックコンサート開催やイギリスでのライブを目指して奮闘する若者たちを描いた作品。
 全体の印象として残るのは、基本的にはどこの若者も同じ、日本も欧米もイランも変わらないということ。同じ人間なんだから当たり前のことなんだけども。
 もちろん、違う部分もある。たとえば日本や欧米のバンド映画だと、バンド活動をする若者たちの前に立ちふさがるのは、経済社会の冷徹な現実とか、親たちの無理解だったりするわけだが、イランの場合はそれは国家ということになる。西洋文化に対する規制が厳しく、ロックを演奏すること自体が罪となる。そこで、テヘランの若者たちは、迷路のように入り組んだ街の奥底に、秘密の音楽スタジオを作り、あるいは郊外の農場の牛小屋で、秘密裡に練習をする。通報されれば、逮捕。
 そういうネガティブな面も描かれているにもかかわらず、全体としては活気に満ちた作品になっているのは、登場する若者たちが生き生きしていることと、テヘランという街のエネルギッシュな混沌ぶりによるのかもしれない。
 この映画で、ちょっと胡散臭いところがありながらも人がよくて陽気で饒舌でエネルギーにあふれた男が登場するのだが、彼の口癖が「問題ない」。それで思い出したことがある。むかし僕が中国を旅行したとき、同宿のイラン人と話したことがあるのだが、確か彼もよく「ノープロブレム」と言っていた。「あなたの国では奥さんを二人以上持てるんですよね?」「二人、三人、四人、ノープロブレム」「へぇ〜」といった具合。
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2010年07月19日

映画『スティル・クレイジー』

 1970年代から80年代にわたって活躍し、内紛で解散したバンドのメンバーたちが、中年になって生活の困窮から抜け出すべく”夢よもう一度”と再起をする過程のドタバタをコミカルに、しかしロックへの愛情あふれるまなざしで描くロック映画。中年ロックファンには楽しい作品。
 1998年、イギリス。監督はブライアン・ギブソン。
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映画『ストーンズ・イン・エグザイル』

 ローリングストーンズのディスコグラフィのなかでもっとも猥雑でエネルギーに満ちたアルバムである『メイン・ストリートのならず者』の制作された1972年前後の彼らの日常、レコーディング、ツアーのようすをプライベート映像と写真と関係者のインタビューで構成したドキュメンタリー。
 副題に「「メインストリートのならず者」の真実」とあるのだが、”真実”の深みに到達するほどの掘り下げは感じられない。ただ、ドラッグやアルコールにまみれつつ、真摯に音楽を探求していたという”事実”は大いにうかがわれる。ストーンズの映像と音に包まれる61分間は、間違いなくストーンズファンには至福のひとときなのだが、ファンじゃない人にはどうだろう? 
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映画『トイ・ストーリー3』

 大学に行くために家を離れることになったアンディとオモチャたちの別れを核に、オモチャたちの友情と冒険を描くフルCG作品。たかが”オモチャの話”を、このように大人も子供も楽しめる物語にしあげる米映画の力量に感服する。
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2010年06月27日

映画『キリング・ミー・ソフトリー』

 か弱い存在(多くの場合は女性)が異常者(多くの場合は性的な異常者)に目を付けられて追い詰められていく、というサスペンス映画が米国にはずいぶんある気がするのだが、本作もそのバリエーション。
 あらすじは、こう。アリス(ヘザー・グラハム)は街で出会った著名登山家アダム(ジョセフ・ファインズ)に惹かれ、サディスティックなアダムの愛に溺れて、同棲中の彼を捨ててアダムと結婚するのだが、過去にアダムの周辺で亡くなったり行方不明になっている女性がいたことを知り、彼の過去を探りはじめるのだが、その行動をアダムに知られ、逆にアダムに追い詰められていく。アリスはアダムの姉デボラ(ナターシャ・マケルホーン)に助けを求め、行方不明の女性が埋められている場所を調べに行くのだが…。
 とくに好きなジャンルではないのだが、セクシーな場面もあったし、追い詰められた女性の姿になんとなく惹きつけられたりして最後まで観てしまった。自分のなかにサディスティックな部分でもあるのだろうか???

2001年、米。陳凱歌(チェン・カイコー)監督作品。
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2010年06月24日

映画『ハネムーン・イン・ベガス』

 恋愛の中だるみから脱すべく結婚することにしたジャック(ニコラス・ケイジ)とベッツィー(サラ・ジェシカ・パーカー)はベガスに行くが、そこで大物ギャンブラー、トミー(ジェームズ・カーン)にベッツィーが一目惚れされ、ジャックはトミーにはめられて借金の代償としてベッツィーをトミーに貸し出さざるを得なくなる。しぶしぶ応じたベッツィーだが、トミーにハワイの別荘に連れていかれ紳士的、情熱的に口説かれ、トミーとの結婚に傾く。ジャックはベッツィーを取り戻すべく必死の努力をし、最後はエルビスのかっこうをしたスカイダイバーたちとともに、スカイダイビングでベッツィーのもとへ飛び降りていくことになる…。
 どうということのないロマンチックコメディなのだが、最後まで観てしまったのは、面白かったからなんだろうなあ。
 1992年。アンドリュー・バーグマン監督作品。
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2010年06月05日

映画『アリス・イン・ワンダーランド』

19歳になったアリスが再び白うさぎを追いかけて穴に落ち、不思議の国でおかしな生き物たちと出会い、冒険をし、その世界の救世主となるという話。ちょっといかれていて、ちょっとグロテスクで、シニカルで、ちょっとエロティックな、そうティム・バートンの世界。ただ、この監督特有のアクがこの作品では少しマイルドになっていて、アクの強さについていけないと感じることの多かった僕などにはちょうどいい具合。大いに楽しめた。
p.s.アリスが巨大化したり縮んだりする場面が妙にエロティックに感じられるのは僕だけだろうか。
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2010年05月30日

映画『オーケストラ!』

30年前にソ連のボリショイ劇場で政治的事情からオーケストラ指揮者の職を解雇され掃除夫となったアンドレイが、パリの劇場から届いた公演依頼のファックスを目にし、かつての仲間を集めて偽のボリショイオーケストラを組織してパリ公演に挑むという話。そこに、アンドレイがソリストとして指名するパリの若手バイオリニストであるアンヌ=マリーの出生の秘密がミステリアスな味付けとしてからみ、さらには仲間たちのパリでの破天荒なドタバタがユーモラスなスパイスとなり、笑って泣ける”現代のおとぎ話”といった作品に仕上がっている。
音楽、芸術、そして人への愛にあふれる映画。
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2010年04月25日

映画『スパイダーマン3』

100312-105357.jpg家族の愛情、恋愛、友情、良心といったテーマが織り込まれているとは思うのだが、観た後、派手なアクションの残像以外は特に心に残らないのは、どうしたわけだろう。そういう映画なのか、自分が疲れているのか。そういえば、最近、我が家の猫がキルスティン・ダンストに似ているように見えることもある。やはり疲れているのだろう。
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映画『グリッター きらめきの向こうに』

歌のうまい少女が男性との出会いを通じて才能を開花させ一流歌手として成功し、幼いころに自分を捨てた母親と再会するというマライア・キャリー主演の映画。どことなく、プリンスの『パープル・レイン』を連想させる作品だったなあ。
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映画『17歳の肖像』

うちの近所の映画館では朝8時の一回した上映していないというので、土曜日の早朝に妻とともに劇場に行って観てきた。

1960年代のイギリスを舞台に、お嬢様学校に通いオックスフォードを目指す少女ジェニーがひょんなことから知り合った男性によって教えられる「大人の世界」に魅了されて道をそれ、苦い経験を経て人生を学ぶ、という話。

ジェニーを演じるキャリー・マリガンがキュート。中産階級の家庭の保守的雰囲気や、少女たちのパリへの憧れなど、当時のイギリスの様子がうかがえて興味深い。と同時に、形こそ違え、この少女の物語は日本や他の国の状況にマッチさせる形で置き換え可能な、普遍性があると感じた。

ともあれ、なかなかいい映画だった。若者はジェニーに感情移入し、大人は自分の若いころを振り返ってジェニーに感情移入しつつ彼女の両親や学校の教師の側にも感情移入していっそう深く味わえるように思う。

教師に向かって「あなたのように退屈な人生を歩みたくない」と啖呵を切って道をそれたジェニーが、戻ってこずそのまま別の道を歩んでいった先の健闘も見てみたいという気もしたが。

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2010年04月19日

映画『しかしそれだけではない。/加藤周一 幽霊と語る』

晩年の加藤周一のインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画。彼のことを知らない人たちにぜひ観てもらいたい。この作品から彼のすべてがわかるわけではないが、彼の考えや意見の一端には触れることができる。

「しかしそれだけではない」という不思議なタイトルは、加藤周一の口癖であり、文章中でもよく使うフレーズからとったものだ。彼がこのフレーズを出してきたあと、決まって論考は大転換を見せるという。「幽霊と語る」のほうは、こういうことだ。加藤周一は、自分はよく幽霊に会うのだという。ここでいう幽霊との出会いは、亡くなった友人や知人が具体的な姿を伴って想起されて、あたかも目の前に現れたかのように感じる、ということだろう。その幽霊たちは、歳をとらない。そして意見を変えない。つまり、加藤周一にとって幽霊たちの存在は、ブレのない座標軸のような機能を果たすことになる。そんなわけで、この映画のなかで加藤周一は亡くなった友人たちについて語りながら、戦争と平和について語る。

加藤氏の語る反戦メッセージに感銘を受けるのは、それがとても個人的な思いから出発しているからだ。たとえば自分の死の予感、たとえば出征して死んだ友人への思い、たとえば言論統制下で考えを自由に述べることのできない苦しみ。戦争は個人にそのようなものをもたらすし、平和は個人をそのような苦しみから解放する(生きることはそれだけでさまざまな苦労を伴うものなのだから、せめて戦争由来の苦しみからは解放されていたいものだ)。なにも大きな倫理や道徳をもってこなくても、個人をみまう苦しみから出発して個人は戦争に反対し、平和を求めることができる。そんなことを作品を見て思った。

ところで、映画冒頭、暗闇に加藤氏の相貌が浮かび上がるという演出は、能を思わせる。これは映画をご覧になったYさんが述べていたことでもある。それもそのはず、プロデューサーの桜井均氏によると、この映画は夢幻能という能の一形式にならったものだという。冒頭のみならず、さまざまな場面、全体的構成が、夢幻能の形式を踏まえているのだ。このあたりは能についての知識がないとわからないことだと思うが、加藤周一をシテ(主人公)に見立ててドキュメンタリー映画全体を夢幻能の形式にしてしまうとは、なかなかの洒落たことをするものだ。古典芸能を愛した加藤周一の幽霊がいま現れれば、映画のなかでもチラっと見せたイタズラっぽい笑顔でこの意匠を喜んでくれるのではないだろうか。
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2010年04月14日

映画『愛と青春の旅立ち』

海軍士官養成学校に入学した若者ザックと仲間たちの友情、恋愛、成長を描いた米国青春群像映画。登場人物は『アメリカン・グラフィティ』の若者たちより少し年上で、時代も少しあと(70年代か)。うむ、どちらにもベトナム戦争の影が差しているのだよな。『アメリカン・グラフィティ』では、テリーがのちにベトナムで戦死することがエンディングで示されるし、『愛と青春の旅立ち』ではザックの友達となるシドが兄をベトナム戦争で亡くしている。

それはともかく、いい映画だった。大傑作とは思わないし、芸術的とも思わないんだけれども、予定調和の物語でありながら最後まできっちり観るものを飽きさせない。うまくいえないが、スタッフのそれぞれがきっちとその職分を熱意を持って果たして作り上げられた作品の潔さのようなものを感じるのだ。そしてその感触は、いまの映画にはあまり見られないもののようにも思うのだ。あるいは、僕のノスタルジーにフィットするからそんな気がするだけなのだろうか。

役者もよかった。ザックを演じたリチャード・ギアはじつにかっこいいし、恋人役のデブラ・ウィンガーもとても魅力的。デブラ・ウィンガーって『デブラ・ウィンガーを探して』の人だよな。若いころは、こんなだったのか。いずれにしろ、いい男といい女が見詰め合えば、もうそこは映画の世界だな。予定調和的世界を1メートルほど逸脱するくらいのけっこうな濡れ場もあって、さぞや公開当時は恋人同士で観る映画として活用されたことであろう。僕もその頃はもう成人だったわけだが、活用の機会はなかったように思う。

この作品、女性視点に立つならば、白馬の王子様が迎えにやってくるという物語といえる。考えてみると、リチャード・ギアはこうした役(女性を迎えにやってくる王子様的男性)を、この作品ののちも何度かやっているな。『プリティ・ウーマン』なんかモロにそうだし、ちょっと状況は違うけども『シャル・ウィー・ダンス』の最後もそういう雰囲気がある。『愛と青春の旅立ち』のザック役がその嚆矢であったか。
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2010年04月13日

映画『アメリカン・グラフィティ』

1960年代のアメリカの田舎町を舞台に、進学や就職などの旅立ちを控えた若者たちの一夜をスケッチした甘酸っぱい青春群像劇。ジョージ・ルーカスの出世作。

断片的には観たことがあったものの全編通してしっかり観たのは今回が初めてかもしれない。ハリソン・フォードが出演しているということを知ったうえで観るのも初めてで、彼がどういう役でどういう演技をしているのか確かめてみたいというのがしっかり観てみようと思った動機の一つでもあった。(スピード狂のあんちゃんという役柄を、若いハン・ソロという感じで演じていた)

主演はリチャード・ドレイファス。その友人役で出ているロン・ハワードは、のちに映画監督となって『アポロ13』、『グリンチ』、『フロスト×ニクソン』、『ダ・ヴィンチ・コード』などを撮っている。ハリソン・フォードの活躍はみなさんご存じのとおり。

それにしても、60年代のかの国の自由で豊かなことよ。高校生が体育館で生バンド付きのダンスパーティを楽しみ、広い道を車で流し、ドライブインに乗り付けて飲み食いし、河原に入ってイチャイチャし、走り屋たちは公道でレースをする。そんな青春、日本の田舎にはヒトカケラもなかったぞ、少なくともオレには!などといきりたちそうになるが、まあ道具立ては違ってもその土地なりの青春というのがどこにでもあっただろうな。それゆえ、こんな別世界のような青春映画であっても広く共感を呼ぶのであろう。車はなくても、ある者は原付バイクで、ある者は自転車で、ある者は徒歩で、ある者はバスや電車や汽車で、青春すべく出かけたに違いない。

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2010年04月01日

映画『ピンポン』

この映画を観たのは何度目だろう。最後まで観るつもりはなかったのだが、観はじめたら止まらなかった。この映画は、いつもこうだ。

そして思ったことは、やはりこれは奇跡のような傑作だということ。松本大洋という原作者、宮藤官九郎という脚本家、曽利文彦という監督、窪塚洋介、ARATA、中村獅童、大倉孝二らの俳優陣、彼らの最大限の力が合わさってはじめて可能となった最長不倒の高みにあると感じる。
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2010年03月28日

映画『マイレージ、マイライフ』

企業に代わって社員に解雇を告げるリストラ宣告人ライアン(ジョージ・クルーニー)は、家族も家財も持たず、一年の大半を出張で過ごし、飛行機内が我が家といったような暮らしをしていたが、旅先で意気投合した女性アレックス(ヴェラ・ファーミガ)との恋愛、妹の結婚、頭でっかちの新人女性ナタリー(アナ・ケンドリック)の教育を通じて、人とのつながりの大切さに気づいていく――という話。

最近、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)という言葉をきくようになったが、ライアンというのはいわば人生のすべてを“仕事”だけにし、“生活”をすべて消し去って生きている。“生活”を避け“仕事”に逃避しているといってもいいかもしれない。スマートに旅を繰り返し、そして、自分が首を宣告した相手の人生をいちいち思いやったりはしない。彼の興味は、マイルを貯めることのほうにある。この映画は、そのような逃避はいつまでも続けられるものではないということを示しているように思う。人はいつか自分の人生を始めなければならない。

映画の見所は、ジョージ・クルーニーのスマートなビジネスマンぶり、そしてヴェラ・ファーミガのセクシーさ、かな。

監督はジェイソン・ライトマン。1977年生まれ。まだ33歳か。
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2010年03月10日

映画『結婚しない女』

ニューヨークの画廊で働くエリカ(ジル・クレイバーグ)が、それまで幸せな関係にあったはずの夫の浮気が理由で離婚し、絶望し、立ち直るべく男たちとの交際を試し、新たな恋を見つけるが、男に依存しない自立した女へと歩み出す、その過程を描いた女性映画。

1978年の米映画なのだが、その時代としての都会の新しい女性像を描こうとしたものと思われる。その「新しさ」の演出がちょっと過剰というかわざとらしく感じられて、リアリティが少し損なわれている。日本のトレンディドラマみたいな感じ。面白いことは面白いのだけど。ああ、ある意味では「1978年版のセックス・アンド・ザ・シティ」みたいなものかもしれない。違うか。
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