2011年04月24日

映画『硫黄島からの手紙』

ずいぶん前に録画したものだが、やっと観ることができた。

太平洋戦争末期の硫黄島の戦いを、島の最高指揮官である栗林中将(渡辺謙)と西郷一等兵(二宮和也)の手紙や回想を織り交ぜながら、日本側の視点で描いた作品。けして日本人を一面的に描くことはなく、日本兵や日本人の心情が他の国の人々にもある程度理解できるような作りになっている、と思った。米映画ということで、日本や日本人がデフォルメされていないか若干の不安があったのだが、そういう違和感もなかった。

渡辺謙の演技は迫力があって見応えがある。スクリーン映えする役者だ。人間の弱さや葛藤を表現した加瀬亮も印象に残る。二宮和也もよかったが、飲まず食わずの戦いという設定なので、最後までふっくらしたままだった顔つきに若干の違和感が…。
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2011年04月16日

映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

親の離婚を機に家出した少年フランク(レオナルド・ディカプリオ)が、小切手詐欺やパイロット、医師などへのなりすましによって大金を得つつ、FBI捜査官カール(トム・ハンクス)の手を機転によっていくたびもすりぬけながらも、ついにフランスで逮捕され、獄中生活を送るものの、小切手偽造についての知識を買われてFBIに登用され社会復帰を果たす、という話。

詐欺モノ映画というと、詐欺手口の鮮やかさや知能戦を描いて痛快な印象を与える作品が多いように思うのだが、本作の場合、そういう側面もあるものの力点はフランクの孤独とカールとの奇妙な友情のほうに置かれているように感じられ、観賞後には切なさが残る。実話に基づいているというのにも驚かされる。ディカプリオは、華もあるし演技もうまいし、いい役者だな。
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2011年04月08日

映画『スクール・オブ・ロック』


観たことのある作品なのだが、たまたま手近にあったのでもう一度観てみた。
ロックを愛し、ロックバンドで成功することを夢見る男デューイ(ジャック・ブラック)。要するに愛すべきロックバカなのだが、彼がひょんなことから規律厳しい私立小学校の臨時教師になり、まじめな子供たちにロックを教え込み、子供たちとロックバンドを組んで、大会に出場するまでを描いた作品。もちろんBGMには往年のロックミュージックがたっぷり。子供たちが、ロックを学びバンドの練習をする過程で、それぞれの得意な分野で個性を発揮していく様子も楽しい。じつは、ライブのステージアクションの参考になるのでは!というヨコシマな思いもあっての再鑑賞だったのだが、ジャック・ブラックのハイテンションぶりはレベルが違いすぎて参考にはできなかった。
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2011年04月01日

映画『真珠の耳飾りの少女』

DVDを観はじめてから、以前も観たことがあるような気がしてきて、開始10分くらいでそれが確信に変わった。それでも最後まで観つづけた。大きい出来事があるわけでもなく比較的淡々と進んでいく話なので、強い印象が残らず、「観た!」という感じがしないのかもしれないな。

内容は、17世紀のオランダの画家フェルメールの傑作「真珠の耳飾りの少女」が制作される過程を、フェルメールの家庭やデルフトの街、人々の風俗を含めて描いたもの。フェルメール役がコリン・ファース、使用人で絵のモデルになる少女役がスカーレット・ヨハンソンとくれば、食指が動くわさ。気難しさと傲慢さと芸術への深い愛情を安定した演技で表現したコリン・ファースもさることながら、採れたての果実のような瑞々しい魅力を放つスカーレット・ヨハンソンがやはり本作の主役であり、核であり、最大の見どころだろう。
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2011年03月29日

映画『ラビリンス』

ゴブリンに奪われた幼い弟トビーを取り返すためにゴブリン城へ向かったサラ(ジェニファー・コネリー)が、城を囲む巨大な迷路のなかでさまざまなクリーチャーを仲間につけていきながら、ついにゴブリン王ジャレス(デヴィッド・ボウイ)と対決し、トビーを取り返すという話。これは取り替え子(チェンジリング)の話なのだな。

監督のジム・ヘンソンは、セサミストリートの生みの親。本作でも異形のキャラクターたちが生き生きと演技をし、ファンタジックな世界を楽しませてくれる。そこにスタイリッシュなファッションに身を包んだデヴィッド・ボウイがときどき劇中歌を歌うというロックな味付けが加わる。80年代の雰囲気たっぷりの作品。
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2011年03月23日

映画『英国王のスピーチ』

吃音で演説が大の苦手の英国皇太子(コリン・ファース)が、吃音を治すべく闘う姿と、英国王となるまでの王室一家のあれやこれやを若干コミカルに描いたヒューマンドラマ。厳めしい人間の滑稽さを演じさせたらピカ一のコリン・ファースの魅力がたっぷり味わえる。

興味深かったのが、英国の王室や王という存在の位置付けが、日本の皇室や天皇とはずいぶん違うものであるらしいこと。映画が表現するところによれば、王といえども弱さや欠点のあるごく普通の人間なのである。その普通の人が、王という位を継承した瞬間から、特別な存在、大きな権威のある存在として扱われるようになる。いうなれば、特別であり、権威を持っているのは、あくまでも「王」という役職であり、個人ではない。だから、王家の暗部についても、映画は遠慮なく描くことができる。日本の場合、こうはいかないだろうなあと、映画を観ながら思ったしだい。
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2011年02月19日

映画『シャーロット・グレイ』

しばらく映画を観る余裕もなかったのだが、やっと人心地つける状況になり、撮りためてあったなかから一本を観ることができた。それがケイト・ブランシェット主演の『シャーロット・グレイ』。舞台はドイツ占領下のフランス。恋人にあうためにスパイとしてフランスにやってきたイギリス人女性シャーロット・グレイが、レジスタンスの一家やユダヤ人の子供たちと心を通わせるが、彼女を待っていたのは過酷な試練だった…、というような話。戦争に翻弄される人間の悲劇と、しかし希望を失わずに闘う人間の強さとが描かれている。ちょっと大味なところはあるものの、よい作品だと思う。

録りためてある映画は30本くらいだろうか。今回は「魅力的な女性が出てくるやつが観たい!」っていうことで選んだのだが、そのニーズはケイト・ブランシェットによってしっかり満たされた。いい男といい女が出てくればそれで映画は成立する、なんて誰かが言ってたような気がするが、確かにそういうところはあると思う。
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2011年01月15日

映画『終わりで始まりの4日間』

母の葬儀のために9年ぶりに帰省したアンドリュー(ザック・ブラフ)が、風変りな娘サム(ナタリー・ポートマン)と知り合い、幼馴染の悪友たちも含めた4日間の交流を経て、サムとともに自分の人生を歩み出すまでを描いた文芸的な青春映画。

ポイントは、アンドリューが幼少時のある事件をきっかけとして、医師である父から処方された、怒りの感情を抑える薬を飲み続けていること。その結果、いわば感情を失くした人間として、怒ることもなく、泣くこともなく彼は成長してきた。それが、脳の障害をかかえながらも前向きに生きるサムに触発されるようにして、アンドリューは薬をやめ、自分を抑圧してきた父とも向き合い、本当の自分の人生を生きはじめようとする。

こういう映画、嫌いじゃないな。傑作とは思わないし、庶民的役を演じるナタリー・ポートマンには若干違和感を覚えるものの、乾いた心に霧雨が降って軽く潤うような、そんな幸せを感じた。
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2010年12月08日

映画『白いリボン』

2009年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得したドイツ映画。舞台は、第一次大戦前夜の北ドイツの農村。一見のどかなその村で、村の権力者や権威者の家族が巻き込まれる小事件が続き、やがてそれは陰惨さを増していく。それらの事件を巡っての村人たちの人間模様から、しだいに村の暗部が露わになっていく。その暗部というのは、一言でいうならば抑圧。権力者や権威者による抑圧、裕福な者による抑圧、父親による家族への抑圧、男による女の抑圧、大人による子供の抑圧。まだ封建主義の名残り濃厚なその土地の、さまざまなレベルでの抑圧が、ひずみとなって現れたのが一連の事件であることがほのめかされる。

21世紀になって、自国の近現代史を改めて客観的な視線で見つめ直す映画が出てきているが、本作もその流れの中に位置づけられるように思う。ミステリー風の雰囲気や文芸作品的な側面もあるが、主要なテーマはドイツ人のなかにある抑圧であり、それを生み出す権威主義であろう。それはエーリッヒ・フロムが分析した、ファシズムの台頭を許し支えもしたドイツ人の心性へと直結する。自らの醜さを正視する苦しい作業を勇気をもって実行したことが評価された結果のパルムドールだったのではないだろうか。

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2010年12月05日

映画『ノーウェアボーイ』

夫を棄て、幼少のジョンをも手放さざるを得なかった放縦な実母、ジョンを引き取り育ての親となった厳格な伯母、この二人の「母親」たちに愛されつつもぶつかり合い、学校生活からもはみ出し、行き場所のない少年(nowhere boy)であったジョン・レノンが、プレスリーなどのアメリカの音楽と出会い、バンドを組み、ポールと出会いジョージと出会い、世界一有名なバンドへの一歩を踏み出すまでを描いた作品。言い換えると、いかにして「ジョン・レノン」は生まれたか、という映画。

監督のサム・テイラー=ウッドは芸術写真で名を成した人で映画監督としてはこれが長編第一作とのこと。ジョン(アーロン・ジョンソン)がリバプールの街や公園などを歩く姿が、背景ともどもじつに美しく、無名の一人の少年が一人の男として、あのジョン・レノンとして、立ち上がっていくエネルギーが、映像から放射されるように感じたのだが、そこに監督の写真家としてのキャリアがよく反映されているということかもしれない。
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2010年11月17日

映画『メイキング・オブ・ハートに火をつけて』

 ドアーズのファーストアルバム『ハートに火をつけて』の発売40周年を記念して制作されたドキュメンタリー。渋谷で打ち合わせがあったので、その帰りにシアターN(かつてユーロスペースのあった場所にある)で観てきた。本当は『ドアーズ/まぼろしの世界』を観るつもりだったのだが、上映時間が合わなかったため、『メイキング・オブ・ハートに火をつけて』を選択。
 これはこれで十分に面白かった。ドアーズの結成からファーストアルバムのレコーディング、ツアーのことなどを、メンバーの現在のインタビューと当時の映像とで振り返るという内容だ。ライブではジム・モリソン主導で即興でやる部分がかなりあったそうで、それがどのように始まりどのように展開するかといったことを、レイ・マンザレクがキーボードで実演しながら豊かな表現力で伝えてくれる場面が圧巻。ロック史において60年代というのは特別な時代であったと改めて思う。
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2010年11月14日

映画『県庁の星』

 県庁きっての怜悧な若手エリート野村が民間との交流という名目で傾きかけたスーパーに派遣される。客や従業員の気持ちを解さぬマニュアル思考が反発を喰う一方、県庁で自分が中心になって推進してきた巨大プロジェクトも庁内派閥のためにメンバーから外され、県庁と癒着することで伸びてきた建設会社の令嬢との婚約も破棄されてしまう。絶望の淵に落とされた野村は、スーパーのパート従業員二宮の言葉で立ち直り、スーパーの立て直しにも力を発揮し、その過程で人の気持ちを理解するようになる。県庁に戻った野村は、自らが企画した巨大プロジェクトの問題点を洗い出し、県民視線の新たなプロジェクトに生まれ変わらせようとする…。
 官民の癒着、箱モノ行政に代表される税金の無駄遣いといった時事的なテーマを取り込みつつ、人間の成長やちょっとしたロマンスも盛り込んだ、なかなかの佳作。自分はけっこう邦画が好きなんだということに気づかされもした。
 それから、これは強調しておきたいのだが、なんだかんだいって織田裕二はスターである。演技の幅は広くないかもしれないが、観客をちゃんと楽しませる存在感と華があると思う。
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映画『リトル・ランボーズ』

 イギリスを舞台に、二人の少年の出会いと成長を80年代の音楽に乗せてユーモラスに描いた秀作。
 11歳の少年ウィルは、テレビすら禁じられる厳しい戒律の宗派の家庭の子、かたやカーターは校内一の問題児。ひょんなことで知り合った二人はカーターの家で『ランボー』を観たことがきっかけでランボーの息子がランボーを助け出すという映画を作ることになる。二人ともそれぞれ家族との関係で問題を抱えており、それがこの映画作りの過程で緊張の度合いを増していく…。
 笑えて泣けて心温まる作品なのに、神奈川県内では川崎のチネチッタのみの上映なのはどうしたことだろう。少年時代へのノスタルジーあふれる作品というジャンルは、ファミリー向けでもカップル向けでもないので大量動員は見込めないということか。
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2010年11月02日

映画『12人の優しい日本人』

『12人の怒れる男』を見たのはいつごろだろう。中学生くらいだったか。12人の陪審員たちが、ある殺人事件について一室で話し合う、ただそれだけの話。ただそれだけではあるが、そのなかで陪審員たちの性格が巧みに表現され「こういう人、いるよね」という共感を呼び、また、当初は表面的にしか把握できてなかった事件の真相がしだいにわかってくるミステリー的な知的面白さもあり、最後には人を裁くことのずっしりとした重みが感じられる、そんな作品だったと思う。

それはこの『12人の優しい日本人』にも共通している。しかも、笑いの要素もたっぷり付け加えられている。じつによくできている。成功の最大の功労者は三谷幸喜だろう。彼の戯曲がベースとなっているし、脚本も彼が担当している。

これは1991年の作品で、「もし日本に陪審員制度があった」という想定で作られている。当時はその設定は虚構だったけれど、いまは裁判員制度という日本式の陪審員制度が始まっている。いっそう見る価値が高まっているといってよいかもしれない。
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2010年10月24日

映画『シングルマン』

 16年間連れ添った恋人を交通事故で無くして失意の底でもがく中年の大学教師ジョージの、事故から1年後のある1日を描いた作品。
 これはじつに見ごたえのある作品なのだが、上記のあらすじだけでは、いったこの作品のどこに見ごたえがあるのか、そもそも映画として成立するのか、という疑問を多くの人がおぼえることと思う。この作品の魅力を理解してもらうには、もう少し情報が必要だ。
 まず、主人公のジョージは同性愛者である。そして、16年連れ添った恋人というのも、当然のことながら男性である。どうだろうか。この条件が加わると、物語が立ち上がってくる感じがしないだろうか。
 さらに、舞台は1960年代の米国であると聞いたら、どうだろうか。まだ同性愛が市民権を得ておらず存在すら認められないような時代、無自覚なマチズモの横溢する時代。これで物語が立ち上がる舞台の条件は十分に揃った。
 最愛の恋人を失った同性愛者の孤独を、過不足なく、正確に、十全に演じきってみせるのがコリン・ファース。もはや、“ラブコメ作品で無骨な男性を演じる俳優”というイメージ(『ブリジット・ジョーンズの日記』を参照のこと)を、われわれは捨てなければならない。本作で英アカデミー賞主演男優賞を受賞し、名優の地位を確立したといってよいのではなかろうか。
 監督は、グッチやイブ・サンローランでデザイナー、クリエイティブ・ディレクターとして活躍するトム・フォード。これが初監督作品だそうだが、さすがファッションの世界で生きてきた人らしく、映像は場面ひとつひとつが半端なくスタイリッシュで美しくしあがっている。高級ファッション誌の広告ページをめくっていくような感じといったらいいだろうか。
 物語のしめくくり方、その表現については、若干、腑に落ちないというか、テーマが未消化のような感じもするのだが、それは監督にとって重要なことではないのかもしれない。孤独と静謐と美に満ちた、ある空気、雰囲気、そういったものを表現したかったのじゃないか。
 ところで、本作は英国生まれの作家クリストファー・イシャーウッド(1904 - 1986)の同名の小説が原作である。発表は1962年。彼自身ゲイということだそうだが、その時代にゲイであることを公にしつつ生きることは困難を伴うことであったろうと思う。彼には表現者として生きる必然があり、覚悟があったということだろう。
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2010年10月14日

映画『ROCKER 40歳のロック☆デビュー』

 バンドのメジャーデヴューに際してメンバーを外されたという過去を持つ中年男フィッシュ(レイン・ウィルソン)が、甥の高校生バンドA.D.D.に助っ人として参加したところ、バンドの映像がYouTubeで人気を博してとんとん拍子に階段をのぼっていって、ついに、かつて自分を捨てた、現在は超メジャーバンドとなっているヴェスヴィオスの前座で演奏することになるのだが…、というロックコメディー映画。
 日本では劇場公開されなかったようだが、楽しい映画だった。高校生バンドのメンバーがそれぞれ初々しい魅力に富んでおり、彼らをかきまわすフィッシュの破天荒ぶりも面白い。人間と人間が協力して一つの音楽を作り出すというバンドの魅力を改めて感じさせてくれる。
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2010年10月05日

映画『ア・フュー・グッドメン』

 海兵隊基地内で起きた殺人事件の調査にあたる若いキャフィ中尉(トム・クルーズ)と仲間たちが、基地の総司令官(ジャック・ニコルソン)と対決し、事件が総司令官の指示によるものだったことを明らかにするまでを描いた軍事法廷ドラマ。
 何か人生に影響を与えるというような映画ではないけれども、豪華俳優陣の演技を安心して楽しめる作品。若くてスイートなトム・クルーズ、初々しさの残るデミ・ムーア、極めつけは、人を殺すための集団である海兵隊をまとめる冷徹でいかつい総司令官役を見事に演じるジャック・ニコルソン。
 ああ、そういえば海兵隊は沖縄にも駐留しているのだよな。
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2010年10月03日

映画『食べて、祈って、恋をして』

 ニューヨーク在住の女性ジャーナリストの実体験に基づく、イタリア、インド、バリ(インドネシア)の”地球の歩き方”的観光ガイド。テーマはもちろん”自分探し”。
 毎日が輝いていたかつての日々を取り戻したい衝動にかられたリズ(ジュリア・ロバーツ)は、夫と別れ、若い俳優と恋をし、それでも満たされずに旅に出る。イタリアではイタリア式に食べて飲んでの日々を楽しみ、その勢いでインドに行き、若い俳優にニューヨークで紹介された教団の本部で瞑想生活を送るも悟りに至らず、かつて訪れたバリを再訪して、そこでの出会いを経て自分の生き方の指針を得る……というような内容。
 観光ガイド的な面白さは感じるのだが、いろいろと納得いかない部分、共感しにくい部分があって、あまり入り込めなかった。たとえば、夫と別れる必要があったのかとか、そんなにお金があっていいよなあとか、結局そういう結論なの?とか、いろいろ思ってしまう。
 それから、インドとバリについて、米国人旅行者の視点で、神秘的であったり異質であったりする部分が強調されて描かれていて、それが「作られたアジアのイメージ」に思えて、素直に観れなかった。リズの目には、きっと日本もまた、理解できない不思議な世界、異質な世界に見えたことだろう。自分がそっち側ではなくこっち側なんだと思ったときには、もうリズに感情移入などできなくなってしまう。
 娯楽映画を相手に、なにをゴチャゴチャいってんだってろう、僕は。
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2010年10月01日

映画『ザ・ビーチ』

 公開時、あまり評判がよくなったような覚えがあるのだが、いやいやどうして、かなりの佳作だと思う。大いに心の平衡を失する映画であった。
 レオナルド・ディカプリオ演じるごく普通の若者リチャードが、バックパッカーとして訪れたタイで、秘密の島の美しいビーチの存在を知り、そこを訪れ、俗世間から隔絶された自給自足の楽園のようなコミュニティに参加するのだが、事故やエゴの衝突からコミュニティの結束が綻びはじめ、リチャード自身も南国の熱気に侵されたかのように正気を失いはじめる……という話。
 『タイタニック』の"レオ様"主演で南国の島を舞台とした映画となれば、当然、ロマンチックな内容を期待されるであろうから、『ザ・ビーチ』が不評を買ったのも当然かもしれない。いや、ロマンチックなもある。それは、どこか危うさや暗い予兆を孕んだものではあるけれども実に美しかった。しかし、全体としては、重苦しく暗い映画であったといえる。血が流れさえもする。
 しかし、これはよい映画だ。目を惹きつける創造的な映像表現、洗練されたアイロニックなセリフ、ディカプリオら俳優陣の説得力ある演技、そういったものがあいまって、若干無理があるような状況設定をもリアリティあるものに見せてくれる。映画らしい映画といってよいのではないだろうか。 
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2010年09月30日

映画『ランドリー』『レディ・イン・ザ・ウォーター』『時をかける少女』

劇を見に行って心の平衡(バランス)を失うことがなければ、その夜の収支決算(バランス)は赤字である」とピーター・ブルックが言っているそうだ(『図書』10月号所収「読書する怠け者、読書しない怠け者」泉谷閑示)。「心の平衡を失う」というのは、感動する、笑う、泣く、怒る、興奮する、そういった心の動きが深いレベルで生じることを意味していると思う。とすると、その言葉は、そうだなあ、展覧会、映画、読書などにも、ことによるとデートなどにもあてはまりそうだ(デートの収支決算って何だ?)。
 さて、昨日みた3本の映画で、僕は心の平衡を失っただろうか。
『ランドリー』については、語る資格がない。最初の数分ほどで観るのをやめてしまったからだ。ピュアな(若干の知的障害があるらしい)若者(窪塚洋介)と傷心の女(小雪)が、若者が下着泥棒防止のために見張り番のバイトをしているというコインランドリーで出会って、女の家に行く、という冒頭の流れを見ていて、演技や映像表現にリアリティが感じられなかった。最後まで観れば印象は変わるかもしれない。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、最後まで観られた。世界の融和のために水の世界から人間世界にやってきた妖精と出会ったアパート管理人の中年男が、アパートの人々の力を借りて、邪悪な存在か妖精を守りつつ、妖精の使命達成を手助けする、といった現代を舞台にしたファンタジー。くだらないなあと思いつつも、最後まで惹きつけられるのは、演出の妙か。
『時をかける少女』(アニメ版)では、少々心のバランスを失ったかもしれない。NHK少年ドラマシリーズの「タイムトラベラー」をリアルタイムで見て心躍らせていた者として、いつかは見ないと、と思っていた作品だ。現代の高校生たちを主人公とした青春ドラマとして、よくできているし面白かった。ただ、SF作品としてはどうだろうなあ。筒井康隆の原作の内容はもう忘れてしまったけれど、全然違う話になっていることは確かだし、しかもそれがSF度がだいぶ薄まる方向にアレンジされているように感じた。タイムパラドックスとかパラレルワールドとか、タイムトラベルに伴うややこしい話(それがあるからこそSFとして面白いのだと思うが)がバッサリと捨て去られているのだ。こんなことを愚痴るのはSFのオールドファンだけだろうか。
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