2012年03月29日

映画『ブロークバックマウンテン』

60年代のアメリカ西部。ブロークバックマウンテンという山での羊番の季節労働で知り合った二人の青年イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ジレンホール)が、山でのキャンプ生活を共にするなかで友情を結び、さらには愛し合うようになる。夏が終わり、二人はそれぞれ女性と知り合い家庭を持つのだが、ブロークバックマウンテンでの日々を忘れることができない二人は、逢瀬を重ねていく。やがて、二人で過ごす山での時間が本当の人生であり、家族との生活は偽物の人生という構図のなかで、二人の人生は徐々に破綻へと進んでいく…。

当時の米国では同性愛は許されないもので、それがイニスとジャックの愛を出口のないものにし、二人を苦しめる。二人のそれぞれの周りの人たちをも苦しめる。通奏低音のようにいつも聞こえてくる寒々とした風の音が、生きることについてまわる苦悩の呻きのようである。その苦しみを癒すように挟まれる山河の景色が、美しくも切ない。


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2012年02月07日

映画『クレイジー/ビューティフル』

3年くらい前にPCで録画してあった作品なのだが、それをやっと観ることができた。

裕福な、しかし内情はというと崩壊している家庭の娘と、貧しいけれども堅いきずなで結ばれている家庭の若者の甘く切ないラブストーリー。甘いとはいっても甘すぎないし、切ないとはいって悲しすぎない。そして、苦みを残しつつもハッピー・エンド。いい映画でしたよ。

娘を演じるのはキルスティン・ダンスト。なんかこの女優さん、好きなんだよなあ。
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2011年09月26日

映画『やさしい嘘と贈り物』

一人暮らしの老人ロバート(マーティン・ランドー)のもとを、近所に住むという老婦人メアリー(エレン・バースティン)が訪れる。見知らぬ女性の突然の訪問にロバートは驚くが、二人はデートの約束をする。積極的なメアリーに導かれるようにして、ロバートは心を開いていき、二人の関係は深まっていく。老人の初々しさあふれる恋愛に観る者は心温まる気持ちになるのだが、睡眠のたびに不安と緊張に満ちた悪夢に苦しめられるようであるロバートの様子と、ロバートの前では見せないメアリーの苦悩の様子が、二人の関係の背景にある闇を示唆する…。

人にとって「記憶」というものがいかに大切なものであるか、この映画を観てそのことを強く思わされる。記憶は、人と人との関係の基盤そのものだ。その人の顔や声、その人とともに経験したこと、そういった記憶があるからこそ、たとえばその人が友人であること、恋人であること、家族であることをあなたは認識することができるわけだ。

いま僕の膝には一匹の雄猫が乗っているのだが、彼がここで安心して、ときどき尻尾を振りながら寝ているのも、僕のことをしっかりと記憶しているからだろう。人にとってだけでなく他の動物にとっても、記憶するという脳の働きは重要なものであるといえそうだ。

ところで、主演のマーティン・ランドー。どこかで見た顔だと思ったら、「スパイ大作戦」と「スペース1999」に出ていた人だった。
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2011年09月17日

映画『ライド・ライズ・ロウアー』



最高のものを創り上げたのち、アーチストはどうなるのだろう――そんなことを思うことがある。「自分にはもうこれ以上のものは創れない」と感じたとき、再び創造への道を歩むことは可能なのだろうか。いや、もちろんそれは可能なはずだ(実際、アーチストの多くは、生涯の最高傑作を生みだしたあとも創作を続けている)。問題は、どのように、どのようなものを、ということだろうか。

そんなことを思うのは、トーキングヘッズがライブ映画『ストップ・メイキング・センス』で見せたパフォーマンスが最高のもので、あれから二十数年を経て、デヴィッド・バーンがこの『ライド・ライズ・ロウアー』でどのようなライブを見せてくれるのかという興味があったからだ。

本作を見て、素晴らしいライブをいまもデヴィッド・バーンがやっているということはわかった。この作品では、最近のバーンのライブのようすを中心に、そのリハーサル風景、スタッフのインタビューなども組み合わされ、ライブがどのようにつくり上げられていったかがわかるようになっている。そこには、昔のように風変りで、創意工夫に富み、ファンキーで、温かいデヴィッド・バーンがいる。ただし、『ストップ・メイキング・センス』のようなテンションはなかったなあ。
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映画『ゲット・ラウド』

ジミー・ペイジ、ジ・エッジ、ジャック・ホワイトの3人が一堂に会し、ギターとの出会いや音楽観を語り合い、かつセッションをする。そこに、各自がその音楽的ルーツや転機を振り返る内容の映像が挟み込まれる。過去の映像・写真は、たとえばヤードバーズ時代のペイジの映像や、ごく初期のU2のTV出演時の映像などすでにYouTubeなどで見たことのあるものも多かったが、初めて見るものもいくつかはあった。

3人のなかでは、若くてまだとんがっているというせいもあるだろうが、ジャック・ホワイトが一番の変人ぶりを発揮しているように感じた。比べて、ジ・エッジなどは温厚で常識人(音楽に対するこだわりは求道者といった風情だが)、ジミー・ペイジも酸いも甘いも噛み分けた大人の落着きを示していたように思う。
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2011年09月10日

映画『チャーリング・クロス街84番地』

原作となった小説?が面白かったので映画も観てみた。手紙のやりとりだけで構成された原作を、想像力豊かに楽しくも心にしみる映像作品にしたてた監督や制作陣に拍手を送りたい。原作よりも少しロマンスの側面を強調した演出は成功だったと思う。そして、ニューヨークの知的で皮肉屋で感情豊かな女性ライターを見事に演じたアン・バンクロフトと、ロンドンの古書店店員の、あまり表には出さない心情を抑制のきいた演技で表現したアンソニー・ホプキンスに、やはり拍手を送りたい。

作品で描かれた、戦後のロンドンやニューヨークで、人々が助け合い、思いやりをもって生きる姿に、「古き良き時代」という言葉が思い浮かぶ。それは、形は違っても日本にもあったものだという気がする。そしてすぐに思うのだが、古き時代が良かったのではなく、古き時代にも良い面と悪い面があり、この作品は良い面のほうを表現しているのだろう。

話しは飛ぶけれど、本作の主人公であるヘレンが見せる本への偏愛や、モノとしての本に対するフィティシズムに近い思いは、本好きの方ならばある程度は共感できるのではないかと思う。装丁の美しさであるとか、持ち重りする量感であるとか、表紙やページの心地よい手触りであるとかが、本を手にする者に喜びを与えてくれる。電子書籍が主流になる時代が来るとしたら、そういった喜びは、好事家のマニアックな喜びということになるのだろうか。ふとそんなことも考えさせる映画であった。
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2011年07月17日

映画『大鹿村騒動記』



それほど期待はしていなかったのだけれど、予想外に面白く、見ごたえのある作品だった。内容は、素人歌舞伎の伝統がある長野県大鹿村を舞台に、歌舞伎に魅せられた男たちの悲喜こもごもをユーモラスに描きつつ、素人歌舞伎の魅力と、日本の山村の現在を伝えるもの。地味になりそうなテーマを、主演の原田芳雄をはじめ、大楠道代、岸部一徳、石橋蓮司、松たか子、佐藤浩市、小倉一郎、三国連太郎、瑛太など豪華な俳優陣が、大いに華と味わいのある映像にしている。

こういうほのぼのとしたコクのある邦画もいいもんだなと感慨に浸りつつ迎えたエンディングで、意表をついて流れてくる忌野清志郎の「太陽の当たる場所」の明るい歌声にとどめを刺された。
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2011年06月29日

荻昌弘の映画解説



ひょんなことで発見した、荻昌弘の映画解説。作品は『ブレードランナー』。
映画がテレビ番組のなかの王で、それを見るのがとても楽しみだった子供の頃を思い出す。
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2011年06月21日

映画『バーレスク』

忙しいはずなのに『バーレスク』のDVDを観てしまった。主演のクリスティーナ・アギレラのことは、映画『シャイン・ア・ライト』でのストーンズとの競演で強く印象に残っていた。セクシーでキュートでコケティッシュ、そして迫力ある歌唱力。



映画『バーレスク』は、そんなアギレラの魅力が存分に堪能できる作品。物語は、田舎町からLAに出てきたアリがダンスを見せるクラブ「バーレスク」でウェイトレスになりダンサーになりついには歌も歌い、人手に渡る寸前だった店を機転により救う(そしてバーテンの男性との恋も実らせる)というもの。まあ、ともかく歌と踊りを楽しんでくださいという映画だな。

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2011年06月03日

映画『3時10分、決断のとき』

借金の返済に迫られ苦境にある牧場主のダン(クリスチャン・ベール)が、強盗団のボスで悪名高いベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)の護送という危険な役を引き受ける。報酬めあてであったが、ベンを奪還しようとする強盗団との闘いで仲間を失っていくなかで、やがてその護送は、父として人間としての尊厳を取り戻す行為へと変貌していき、彼の息子がそれを見届ける……。

ラッセル・クロウの冷酷かつチャーミングな悪党ぶりや、恥辱に堪えつつ家族のために闘う男の苦悩を表現するクリスチャン・ベールの演技に大いに惹きつけられる。脇役として老練でタフな賞金稼ぎを演じたピーター・フォンダの出演も往年のファンにはうれしいところ。

米国での公開は2007年。南北戦争で片足を失ったというダンの苦悩は、湾岸戦争やイラク戦争の帰還兵のそれと重なって見える。現代的な価値のあるゼロ年代の西部劇といえるだろう。
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2011年05月30日

映画『ハッピーフライト』

羽田からホノルルに向かって飛び立った旅客機が、機器の故障で途中で引き返し、台風が接近するなか羽田に無事に着陸するまでの過程を通じ、CA、パイロット、地上整備員、管制官など、航空業務に携わるさまざまな人々の仕事ぶり、そのプロフェッショナリズムを描いたもの。

天然系としてつとに有名な綾瀬はるか主演であるし、能天気そうなタイトルだし、お気楽なCA(客室乗務員)の話かと思っていたのだが、いい意味で予想を裏切る手に汗握る映画であった。

毎日、無数の旅客機が世界の空を飛んでいるわけだが、そのフライトのひとつひとつが、多くのプロフェッショナルたちの努力で支えられており、乗客の命がそれで守られているのだということに感慨を覚えた。

テクニカルライターとしては、非常事態に遭遇したパイロットが、操縦中にマニュアルを開いて機器の故障個所を確認する場面があったことを指摘しておきたい。マニュアルもまた、命を守る仕事に役立っている。

それはそれとして、邦画を見ていつも思うことなのだが、どうして邦画は色が地味なんだろう。使っているフィルムの違いなのか、それとも現像技術の違いなのか、あるいは日本人の好みに合わせた結果ということなのか。洋画は場面場面がもっと色が鮮やかで美しく、それだけで魅力的である、と僕は感じる。
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2011年05月19日

映画『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』

神聖かまってちゃんのライブ前の数日間における、それぞれに鬱屈を抱えた女子高生、シングルマザーのポールダンサー、その子、バンドマネージャらの出口のない苦悩の深まりと、ライブによってそれが昇華されるさまを描いたロックムービー。

全体としては、とてもよい映画だと思うのだが、正直、ストーリー部分の演出はあまりいただけない。出来の悪い漫画みたいに思えた。しかし、神聖かまってちゃんのライブパフォーマンスのパワーが圧倒的で、それが他のマイナスを補って余りあるのだ。要するに、神聖かまってちゃんのパワーに全面的に依拠した作品であると僕には感じられた。神聖かまってちゃんのPVみたいなもの、といってもいいかもしれない。

もう一つ感じたことがある。"青春の叫び”といったタイプのロックをやるミュージシャン(神聖かまってちゃんもそう言ってよいと思う)において、初期衝動型の青春の叫びの切実さと商業的成功は、両立させることは容易ではないだろうということ。劇中「10年後の神聖かまってちゃん」という話が出てくるので、そんなことを思った。そういうタイプは、成熟することで違うタイプのミュージシャンになるか、さもなくば死ぬことになる。ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、尾崎豊らが死んだのと同じように。神聖かまってちゃんには、成熟を望みたい。

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2011年05月15日

映画『亡命 OUTSIDE THE GREAT WALL』

著しい経済発展の一方、中国ではいまだに表現の自由がない。ノーベル平和賞を受賞した民主活動家の劉暁波(リュウ・シャオボー)は、中国の民主化を求める08憲章を起草したことで、いまも監獄につながれたままである。あなたが中国人で、沈黙をよしとしないのであれば、選択肢は、監獄に入るか亡命するか、二つに一つ。

本作は、後者を選んだ在外の中国人たちにスポットを当て、その主張、日常を紹介する。登場するのは、作家の鄭義(ジェン・イー)や高行健(ガオ・シンジャン)、天安門の学生リーダーだった王丹(ワン・ダン)ほか、詩人、彫刻家、評論家などなど。彼らの語りを通じて浮かび上がってくるのは、一つは文化大革命や天安門事件の実相。とりわけ天安門事件については、当時の現場の映像が多く使われていて、あれがどのような事件であったのかがリアルに伝わってくる。政府との対話を求めて広場を埋め尽くす何万人もの若者たち、鳴り響く銃声、逃げ惑う者たち、血まみれで倒れている者たち…。王丹はこう語る。「政府が銃をもって学生運動に幕を引くとは思いもしなかった。身内の問題だろ、僕らは子供で政府は父母と同じだ。どこの親が子供に銃を向ける? 僕らの条件を飲まないにせよ、声ぐらい聞くだろう。衝突を防ごうと集まった人民に軍が発砲するわけないと思っていた。これは畜生のやることだ」

もう一つは、亡命することの苦しみ。スウェーデンで暮らす作家の陳邁平(チェン・マイピン)は、亡命を監獄のようなものと表現する。広い場所にいるようでも、自由はないと。評論家で米国で暮らす胡平(フー・ピン)は、母国で暮らす母の死に目にあえなかったことを辛い出来事であったと語りつつ、しかし自分が帰国していたら、私の身を案じる母をもっと苦しませたことだろうと、亡命を選んだ自分を納得させる。鄭義(ジェン・イー)は、読者のいない米国で創作活動を続けることの苦悩を語り、しかし自分が転向して母国へ戻ったとしたら、天安門事件の犠牲者たちに申し訳ないと、淡々と話す。彼らはみな、穏やかに、ときにユーモアも交えながら、その人生、その選択を語る。その底に抜きがたい深い悲しみと、現実に亡命という選択を実行した人間ゆえのものか、不撓不屈の覚悟が感じられるように思えた。


今回、試写会に当選し、観る機会を得た。上映後、翰光(ハン・グァン)監督本人の話や質疑応答があった。中国の今後について問われた監督は、革命の第1世代、第2世代の指導者たちは銃を使うことを厭わなかったが、第3世代、そしてこれからの第4世代は、もう国民に銃を向けることができないだろう。いまの中国のバブル経済が破綻して国が大混乱に陥れば大変なことになるかもしれないが、その前に指導層の世代交代が進めば、民主化へのソフトランディングも可能かもしれない、と語っていた。

隣国の人間として、劉暁波(リュウ・シャオボー)のような人が解放され、亡命者たちが帰国できる日が一日でも早く到来することを願わずにいられない。

映画は渋谷のシアター・イメージフォーラムにて5月21日から一般公開されるので、ご興味のあるかたはぜひご覧いただきたい。

亡命(翰光監督作品)
http://www.exile2010.asia/jp/index.html

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2011年05月13日

映画『ラブソングができるまで』

80年代に人気ポップグループのメンバーだったものの現在は営業で遊園地やパーティ会場を回る日々を送っているアレックス(ヒュー・グラント)のもとに、子ども時代にアレックスのファンだったという女性トップアイドルから曲の提供の依頼がくる。作曲はできるものの詩が書けないアレックスは、たまたま植木の水やりにきていた女性ソフィー(ドリュー・バリモア)の才能を見込んで作詞を依頼し、締め切りまでの数日間、ふたりで協力してラブソングをつくることになるのだが……というラブコメ。ふたりの距離がしだいに縮まっていくさまにドキドキしたり、それぞれが自分の過去を乗り越えて新しい一歩を踏み出していくさまに励まされたり、何度か登場するアレックスのかつてのプロモーションビデオのいかにも80年代!という感じの作りに笑ったりと、なかなか見どころの多い作品だった。

ヒュー・グラントって、どの作品でも、ちょっと軟弱で優しくてちょっとワガママで優柔不断で、でもいざというときには男気を見せる、というキャラクターのような気がするが、今回もまさにそういう役。一貫してヒュー・グラントを演じ続けているということか。それはそれで立派だよなあ。

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2011年05月06日

映画『ガリバー旅行記』



ジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」の主人公を、現代の新聞社のしがないメール係(気さくなロック野郎)に置き換えたらどうなるか?という話。片思いの女性記者の前でハッタリをかましたことが原因でバミューダトライアングルの取材に行くことになったガリバー(ジャック・ブラック)が小人の国リリパット王国に漂着し、国を敵から守ったことで英雄となるのだが……。

ちょっとしたロマンスとたくさんのドタバタとユーモア、そして陽気で子供のようなジャック・ブラックの魅力詰め込まれた作品。観る前は、どちらかというと子供向けかなとも思っていたのだが、大人も十分楽しめる作りだった。楽しめるどころか、大いに笑ってしまった。映画館で声を出して笑ったのは久しぶりではなかろうか。それだけでなく、作品に込められた平和へのメッセージに感動も。
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2011年04月30日

映画『ミルク』



ゲイであることを公にして米国ではじめて公職(サンフランシスコ市政執行委員、日本の市会議員に相当するらしい)に就いたハーヴェイ・ミルクの、市民運動家・政治家として生きた日々を描いた作品。2008年の作品で、監督はガス・ヴァン・サント。

ゲイを描いた作品として語る以前に本作は、人権のために命をかけて闘った一人の人間とその仲間たちを描いて感動的である。本作を見て、いま僕らが享受しているさまざまな権利の一つひとつが、このような勇気ある人たちの闘いによって勝ち取られてきたものだということを思わないではいられない。

主演は、暴れん坊の問題児、元マドンナの夫のショーン・ペン! あのショーン・ペンがゲイの役を?ということで、とても意外な感じがしたのだが、非常にたくみにゲイを熱演していて驚かされた。この役で彼は米アカデミー賞の主演男優賞を受賞している。

ところで、僕の記憶に間違いなければ、マドンナがインタビューでこんなことを言っている。いろんな男と付き合ってきたけれど、一番愛したのはショーン・ペン。ほかの男たちは、スターである自分の大きさにひるんでしまって、自然な関係になれなかったが、ショーンだけは、わたしをひとりの女として扱ってくれた。――ショーン・ペンと聞くと、いつもこの話を思い出す。
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映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』


1951年、アルゼンチンの一人の医学生が友人とともに一台のバイクに相乗りして南米縦断の旅に出る。若者の能天気な気分の旅は、南米各地の貧富の格差、庶民の貧困の厳しさ、ハンセン病患者への差別といった現実に触れることにより、人生を決定づけるものへと変貌していく。数年後、医学生は“チェ・ゲバラ”として現代史に登場することとなる。ゲバラ自身による旅行記と、同伴者であったアルベルト・グラナード回想記に基づいて作られたのが本作。

ゲバラの書いた旅行記のほうは2年前に読んだのだが、映画のほうは見逃していた。ツタヤでバイトする次男が借りてきたDVDのなかにこれが入っていたので、意外に思いつつ、観たしだい。
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2011年04月25日

映画『アイアンマン』

天才エンジニアにして兵器会社の社長(ロバート・ダウニーJr)がアフガニスタンで戦場の現実を見たことをきっかけに平和のためのボディスーツ型のマシン”アイアンマン”を作り、戦場でゲリラから村人を救うが、それを兵器として売ろうとする会社重役(ジェフ・ブリッジス)に命を狙われ、乗っ取り派の作った巨大アイアンマンと闘うことになる……、という話。

壁をも突き破るパワーと銃弾をはねのける頑丈さを兼ね備え、高速で空を飛ぶこともでき、各種の武器も装備したアイアンマンのスーパーな活躍が単純に楽しい。
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映画『ホワイト・オランダー』

頭を耕し心を解きほぐすには、精緻で硬質な作りで、かつ美しい女が出てくる、そんな映画が必要だろう。そんな独自の方針に基づいて録画映画リストからアタリをつけて選んだのが、ミシェル・ファイファー出演の『ホワイト・オランダー』。もっぱらミシェル・ファイファーに惹かれてなのだが、観はじめてみたらなかなかよくて、最後まで真剣に見入ってしまった。

テーマは、母と娘。僕の見たところ、母親というのは、ともすれば娘に自己を投影し、娘を自分の思い通りの女性に育てあげようとする傾向がある。それはときに娘にとっては重荷になったり、ギプスのように窮屈に感じられたりするだろう。やがて思春期を迎えた娘は母親の敷いたレールからはみ出し、自分で選んだ服を着だし、流行の髪型に変え、母親も娘が自分の人形ではないことに気づく。この映画は、そんな母親のエゴと娘の葛藤を、アーチストで強烈な自我の持ち主である母(ミシェル・ファイファー)と、感受性豊かで繊細な娘(アリソン・ローマン)という登場人物を中心に据えて描く。そして、それとあわせ、いまのアメリカの荒廃した心象風景をも表現し、すぐれて現代的な作品にしあがっている。

原作はジャネット・フィッチという米国の作家の小説『扉』だそうだ。映画タイトルのWhite Oleanderとは、白いキョウチクトウの意味。ミルクにキョウチクトウをさす場面が出てくるのだが、そういう育て方もあるのだろうか。
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2011年04月24日

映画『ねこタクシー』



気はやさしいものの仕事のできない中年タクシー運転手(カンニング竹山)が、ひょんなことで出会ったねこを乗せてタクシーを走らせはじめたことで小さな騒動が起こるが、そのことを通じて運転手も家族も周りの人々も、それぞれ小さな一歩を踏み出す…、という話。かわいい猫をたっぷり見られて、猫好きにはたまらん映画。

奥さん役の鶴田真由、久しぶりに見たけど、相変わらず美しいな。
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