2013年06月24日

映画『Kissing ジェシカ』



洗練されていて、ユーモラスで、心温まる、しかしさらっとした、とてもよくできた作品で、じつに面白かった。

主人公は、新聞社に勤める28歳の女性ジェシカ。彼氏を作ろうとさまざまな男性とデートをしてみるが、どの男性にも魅力を感じることができない。それで女性と交際することを試み、新聞で交際相手を募集していたヘレンという「両刀使い」の女性と会ってみる。そして二人は恋に落ちる……。

いってみれば、都会に住む一人の女性の恋愛の顛末(そこに大事件があるわけでもない)を描いただけの作品なのだが、場面場面のひとつひとつの表現が、すごく楽しませてくれるんだな。説明しすぎない抑制のきいた感じがいいし、ある部分では誇張して漫画チックで面白い。ロマンチックに流されず、現実の苦味もまじえつつ、しかし人生は良いものだという気持ちにさせてくれる。最初から最後まで楽しませてもらった。

2001年、米映画。監督はチャールズ・ハーマン=ワームフェルド。
posted by kunio at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

映画『いそしぎ』




まだ観てなかったんだよな、これ。

海辺の一軒家に一人息子と暮す画家のローラ(エリザベス・テイラー)は、自分に忠実に生きてきた奔放な女。ミッションスクールの校長で牧師でもある堅物エドワード(リチャード・バートン)。この好対照の二人が出逢って、恋に落ちて…という話なのだが、、、エリザベス・テイラーは、もう最初からガッツリと胸の谷間を見せて登場するんだからなあ。あの美貌にあの肉体じゃあねえ、牧師といえども恋に落ちるでしょう。

正直にいうと、若い頃はエリザベス・テイラーのどこがいいのかわからなかったのだけれど、いまはよくわかる。そうか、僕が子どものころ、お父さんの世代の人たちはこんなふうに彼女の魅力にやられてたわけだ。

1965年、米映画。監督はヴィンセント・ミネリ。ライザ・ミネリのお父さんだな。
posted by kunio at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

映画『ルームメイト』

浮気したボーイフレンドを追い出して一人暮らしとなったアリー(ブリジット・フォンダ)がルームメイトを募集する。やってきたのは、控えめで素朴な雰囲気のヘディ(ジェニファー・ジェイソン・リー)。すぐに打ち解けた二人は同居を始めるのだが、アリーと同じ服を着たり、同じ髪型にしたり、復縁したアリーのボーイフレンドと親しげにしたりというヘディの行動に、アリーはしだいに不安を募らせていく…。

アメリカ人って、好きだよなあ、こういう映画。一見ふつうに見える人が、じつは…っていう作品がたくさんある。そういう恐怖心が、かの国の人々には広く共有されているのではないだろうか。これは、銃犯罪の多さと根っこの部分とつながっているんじゃないかな。

それはともかくとして、映画はなかなか面白かった。観るのは二回目だと思うんだけど、途中まで気づかなかった。。。

主役のブリジット・フォンダ。フォンダ姓だし、口元がフォンダ・ファミリーの一員であることを強く示唆していたので、調べてみたら、ピーター・フォンダの娘なんだな。美しい。

1992年、米映画。監督はバーベット・シュローダー。
posted by kunio at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年05月08日

映画『スワロウテイル』

チャラの歌う「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」を練習しているので、これがテーマ曲として使われている映画のほうも観てみることにした。

「むかしむかし、円が世界で一番強かったころ」という時代、富を求めてさまざまな国からやってきた異邦人たちが棲みついた「円都」(イェンタウン)の若者たちの、むき出しの性と暴力と愛の物語。さまざまな人種、言葉、文化がミックスされた無国籍の雰囲気が独特で、これが作品の大きな魅力。もう一つ、大きな魅力は、娼婦グリコ(チャラ)の存在かな。チャラがいなければこの映画は成立しなかった、と思いたくなるほど、チャラはこの映画の役柄にはまっていた。

posted by kunio at 01:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画

2013年04月10日

映画『ホーリー・モーターズ』



『ポンヌフの恋人』などの監督で知られるレオス・カラックスの最新作『ホーリー・モーターズ』を観てきた。なんていいつつ、カラックス監督の作品は一つも観たことがなくて、カイリー・ミノーグが出演しているということが、観ることにした最大の動機。

観る前は、象徴的イメージばかりの難解な映画で楽しめなかったらどうしよう、とちょっと不安もあったのだが、杞憂であった。難解といえば難解かもしれないけれど、わけわからずストレスがたまるというほどではないし、思いのほかユーモラスで吹き出すようなシーンもいくつか。全体に暗い雰囲気ではあるものの、エネルギッシュで、映像的な面白さにも溢れている。楽しめた! この監督の他の作品も観てみたくなった。

物語は、あまり紹介しても意味がないような気がするのだが、簡単にいうと、朝、豪邸から現れリムジンカーに乗り込んだ一人の男が、車内で特殊メイクをし、車から降りた場所で一人の人間のある場面を演じては、車に戻り、また別の人間に変装して…、というのを数度も繰り返す、その一日を追ったもの。どうやら、それぞれの場面が過去のいろいろな映画へのオマージュにもなっているらしい。

そうそう、カイリー・ミノーグだが、ビジュアル的には地味な感じの出かたであったけれども、歌を歌う場面があり、美声が楽しめる。
posted by kunio at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年04月07日

映画『晩秋』

PCに撮りためてあった映画から。

最近、偶然なのか必然なのか、老人が主人公の映画を観ることが多い。これもそう。一人の男(ジャック・レモン)の晩年を襲った、妻の発作、自身の痴呆、ガンとの闘病、男を支える家族たち姿を描いたもの。軸になるのは、男と息子、そして孫、この3代の「父と子」の絆が、男の晩年のあれこれを通じていかに深まるか。

父の息子である自分、息子の父である自分、というものを改めて考えさせる作品。

1989年のアメリカ映画なのだが、老人を主役にした映画が増えてきたのは、このころくらいからだったろうか。先進国で高齢化社会ということが言われ始め出したことの反映ということか。
posted by kunio at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年02月18日

映画『ロック・オブ・エイジズ』

80年代のLAを舞台に、成功を夢見る若いカップルのロマンスと、名声に溺れて堕落しかけたロックスター(トム・クルーズ)の再生を中心に、ライブハウスオーナー(アレック・ボールドウィン)、ロック誌の女性記者、ロックスターのあこぎなマネージャ、かつてグルーピーだった過去を隠してロック排除を訴える市長夫人(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)などの人間模様を群像劇として描くロックミュージカル。

80年代ロックのヒット曲が多数使われ、当時のロックに親しんでいた者には楽しい作品。その多くはかつて渋谷陽一らが「産業ロック」と批判したもので、僕もそれに同調していたけれど、いま聴くと、そういうジャンルにもやはり役割があったのだという気がする。

こういう映画は、やりすぎなくらいやるのが正しいようで、トム・クルーズ演じる堕落した超セクシーなロックスターのエロエロさや、ロック排斥運動の旗振り役の市長夫人を演じるキャサリン・ゼタ・ジョーンズの闘士ぶりなど、大スターたちの過剰な演技がとても楽しい。

posted by kunio at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年02月12日

映画『マリリン 7日間の恋』

映画撮影のためにイギリスにやってきたマリリン・モンローと恋に落ちた若い助監督の手記に基づく、マリリンとの数日間を描いた作品。

主演のミシェル・ウィリアムズは、世界を魅了したマリリンのこの世のものとは思えないほどのかわいらしさと、底知れない孤独を表現し、強烈な印象を与える。

この作品を観ながら、女というものについて考えないではいられなかった。というのも、つまるところマリリン・モンローというのは、良い意味でも悪い意味でも、女らしさの究極であり、それがむき出しになっている、そういう存在であると思うからだ。その本質は、愛されたいという欲求。誰かに、永遠に、ゆるぎなく、愛されたい。その満たすことのできない深い渇望が、彼女をスターにもし、彼女を死へと追いやりもした。ふつうの女性も、そこまで極端ではないにしろ、同じ色(赤い色?)をした渇望を抱えて、それにしばしば突き動かされるようにして生きているのではないだろうか。

女の本質が「愛されたい」なのであれば、男の本質は何なのか。それについてはまた別の機会に考えることにしたい。

ともあれ、この映画は面白い。大人の皆さんに推薦します。

posted by kunio at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年02月07日

映画『西の魔女が死んだ』



何年か前にテレビで放映されたものなのだが、やっと観ることができた。

不登校の感受性豊かな少女(高橋真悠)が、日本の自然の中に溶け込むようにして暮す祖母(サチ・パーカー)のもとで過ごしたひと月ほどの日々を描いた作品。穏やかで勤勉で、それでいてどこか超越的でもある祖母との暮らしのなかで、少女の心は解きほぐされ、弾力を取り戻していき、やがて別れのときがやってくる…。これは少女の成長の物語であると同時に、大人がどのように子供の成長を見守り、後押ししていくのがよいかを問いかける物語でもあると思う。

祖母が元英語教師のイギリス人で、理科教師と結婚して日本に根を下ろした人、という設定が、この作品に宮沢賢治風の少し翻訳調のファンタジックな独特な雰囲気をもたらしていて、子どもの頃に西洋の児童文学に親しんだ者に懐かしさを感じさせる。読んだことはないが、梨木香歩の原作がそういう雰囲気なのだろうか。

主役の高橋真悠は本作が映画デビュー。2008年の作品だから、もう5年も前か。今度は大人になった高橋真悠をスクリーンで観てみたい。


posted by kunio at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2013年02月04日

映画『みえない雲』

「通販生活」の付録DVDに収録されていたもの。原発事故によって、平凡で幸せな日常がいかに破壊されてしまうかを若いカップルを中心に据えて描いたドイツ映画。2006年の作品ではあるが、2011年のフクシマを予言しているかのようにも見えた。いやそれは、大規模な原発事故が起きたときに、弱者が犠牲になり、家畜やペットは放置され、家族は離散し、ふるさとが失われるということが確実に起こるであろうことを考えるならば、その類似は当たり前のことなんだろう。そういう意味では、フクシマ後の日本を描いた園子温監督の『希望の国』とも同じ手触りが感じられるのもまた自然なことだろう。

原作はチェルノブイリ原発事故の直後に発表されたとのことなので、この映画もチェルノブイリの事故で高まった原発への危機感が背景にある。ドイツがフクシマの事故を受けて脱原発に舵を切ったのは、唐突なことではなく、そこまでの長い反原発運動があったからだという話を聞いたことがあるが、このような映画作品もそのような動きのなかで生まれたものなのだろう。

ドイツといえば、朝日新聞が2月3日の日曜版Globeで「知られざるドイツ」という特集を組んでいた。今年で8年目となるメルケル首相の素顔に迫る内容で興味深かった。彼女は名門ライプチヒ大学で学び、ドイツの科学アカデミーの在籍した物理学者だった。大学時代の後輩は「法の枠組みの中で考える法律家と異なり、物理学者は枠組み自体が時間によって変わる複雑なシステムの中で考える。メルケルは自然科学者の手法を政治の世界の中でみがきあげてきた」と評するという。フクシマの事故を受けエネルギー政策を転換する際にメルケルは「日本のできごとからわかるのは、科学的にあり得ないとされてきたことが起こるいうことだ」と述べたそうだ。これは、民意のあり方も含め、枠組み自体が変わったのだという認識を示したものということもいえるだろう。

話しは少しそれるけれど、「科学的にあり得ないとされてきたことが起こる」ということを物理学者であるメルケルが言葉通りの意味で言っているとは思えない。おそらくは、わかりやすく(日本の状況に即して)言いかえるならば、「原子力ムラの人々が”科学的にあり得ない”と言っていることが起こる」ということになるだろう。実際、日本では福島原発の事故の可能性については、事故以前からさまざまな形でさまざまな人々が科学的観点から警告してきていた。つまり、あの事故は、「科学的にあり得る」とされてきたことなのである。それを見過ごしてきたことが僕ら日本人の失敗なのだ。こんな失敗は、一度かぎりにしたいものだ。


posted by kunio at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年10月21日

映画『希望の国』


原発事故によって人々の生活がいかに破壊されつくすか、そしてその絶望からいかにして希望を見出せるか、それをある酪農を営む家族を中心に描いたフィクション。

上映が始まってから終わるまでのほとんどの時間、僕は泣き続けていたと思う。正直に言えば、この映画は必ずしも充分に洗練された作品だとは思わない。しかし、このなかで描かれている出来事の多くは、福島原発事故後、ニュースやドキュメンタリ番組などで見聞きしたことのあることで、それゆえこの作品は、3.11以降の現実を改めて僕らの眼前に突き付けてくる。映画の向こう側に透けてみる現実の悲惨さが、胸を締め付ける。

それは例えば、生まれ育った土地からの強制的退去であり、避難してきた被災者に対するいわれなき差別であり、収容所のような避難所生活であり、人のいない町をさまようペットや家畜たちの姿であり、避難の判断を巡って分裂してしまう家族である。

本作の舞台は「長島県」という架空の県。見落としてならないのは、これは単に福島県の代替としての名称ではないということだ。劇中、「長島県」のほかに「福島県」という名称は登場する。つまり福島とは別の県として長島県が描かれ、なおかつ、福島でかつて原発事故があった、という設定になっているのだ。つまり、フクシマの事故があり、その後、再び日本が同様の事故に遭った、という設定なわけだ。確かな安全が担保されないまま原発の再稼働へと「ムラ人」たちが前のめりになっている日本の現実を顧みれば、それは充分にあり得ることではないだろうか。

さて、僕らが住むこの国は、<希望の国>だろうか。もはや絶望しかないという状況で希望を持つことはできるだろうか。すべてを失ったからこそ持てる勇気もある、と思いたい。
posted by kunio at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年10月18日

映画『Life In A Day』



世界各地で、プロアマ問わず、とにかく同じ日に生活の一部分を映像に撮って、それをまとめて1つの作品にしよう――たしかそんな企画だったと思う。その結果としてできあがったのがこの作品。撮影されたのは2010年の7月24日。

寄せられたさまざまな国、さまざまな人種、さまざまな階層の人々の映像は、夜明けから深夜の12時まで、ほぼ時間軸に沿ってまとめられており、この1時間半の作品を通じて「世界の一日」を駆け足で経験できる。そこには、家事、食事、子育て、仕事、命の誕生、死、病、絶望、希望、祈り、悲しみ、怒り、喜び、愛…、人生のすべてが詰め込まれている。

この作品が教えてくれるのは、世界の裏側の、まったく異なる文化を持つ、まったく異なる人種の国であっても、そこにいるのは人間であって、その一人ひとりがかけがえのない存在であるということだろう。世界は広くて多様で、さまざまな生活があるけれども、そのどれもが結局は同じ人間という生き物のなすことなのだ。

最後まで観るつもりはなかったのだが、観始めたら目が離せなくなり、結局最後まで観てしまった。YouTubeで無料で公開されているので、よかったらご覧いただきたい。この世界と人間が愛おしくなる、そんな作品。
posted by kunio at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年09月17日

映画『ダークナイト ライジング』

バットマンの新シリーズの最終章。前作『ダークナイト』において、愛する人を失い、ゴッサムシティの平和のために罪をかぶり、失意の底で屋敷に隠棲していたバットマンが、数年の時を経て、新たに現れた敵との闘いのために復活し、キャットウーマンとともに街の存続をかけた決戦に挑む、という話。前作に引き続き、善とは何か、悪とは何かを突き付けてくる内容になっており、テーマとしては重いのだが、苦悩の先に光明が差してくる、といった展開になっている。

もちろん、バットマンシリーズならではの派手なアクションとスペクタクルなシーンも満載で、最後まで飽きさせない娯楽作品になっている。アン・ハサウェイ演じるキャットウーマンもセクシーかつキュート。

ラストは、複数の解釈を許す作りになっていて、それをどう受け止めるかは観客に委ねられている。
posted by kunio at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年08月13日

映画『ダークナイト』

バットマンの新シリーズ三部作の二作目。タイトルの「ナイト」は「夜」かと思っていたが、「騎士」のほうだったんだな。

それにしても重苦しい物語だった。バットマンが使用するテクノロジーの面白さや迫力あるアクションなど娯楽要素は多いものの、全編にわたって”活躍”する敵役ジョーカーの残虐さに圧倒される。しかもそれは、肉体的暴力という形での残虐さばかりでなく、心のなかの暗部をわしづかみにして「これがお前の醜い心だ」と鼻先に突き付けてくるような具合で、けして後味はよくない。

バットマン自身もまた、自分自身のありかたに苦悩する。正義をおこなっているはずなのに、事態をどんどん悪化させていってしまう。なんだか米国の姿を見ているかのようでもある。いま真摯に正義を描こうとすれば、こうならざるを得ないということなのだろうか。

ともあれ、これで『ダークナイト ライジング』を観る準備はできた。
posted by kunio at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

映画『きっとここが帰る場所』

『ダークナイト』はまだ観ていない。代わり、というわけではないが、『きっとここが帰る場所』を観た。

原題はThis Must Be The Place。トーキングヘッズのファンなら、同名の曲を思い起こすのではないだろうか。ライブ映画『ストップ・メイキング・センス』で、電気スタンドと戯れるデヴィッド・バーンの姿が印象的なあの曲を。

http://www.youtube.com/watch?v=Cqg_ZGcuybs

物語は、ダブリンの片隅に引きこもっている往年のロックスター、シャイアン(ショーン・ペン)が、ニューヨークに住むホロコースト生還者である父親の死をきっかけに、父が追い求めていたナチス残党を探すあてどのない旅に出て、その過程で自分自身が脱皮するというもの。

リアリティよりは虚構の面白さを選択したといってよいショーン・ペンの演技は、賛否両論があることだろう。僕も最初は抵抗感を覚えた。が、物語が進むにしたがって、しだいにこのキャラクターに魅力を感じていったことも事実だ。

テーマ曲は、トーキングヘッズのThis Must Be The Place。劇中、デヴィッド・バーンがこの曲を演奏するシーンもある。ついでにいうと、U2のボノの娘イブ・ヒューソンがロック少女として出演。さらにいうと、名わき役ハリー・ディーン・スタントンも。

全体として、大成功した作品とは言い難いけれども、役者のショーン・ペン、ミュージシャンのデヴィッド・バーンのどちらかが好きなら、きっと楽しめるはずだ。

『きっとここが帰る場所』公式サイト
http://www.kittokoko.com/
posted by kunio at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年08月09日

映画『バットマン ビギンズ』

バットマンの最新作『ダークナイト ライジング』の評判がよいので、それを観るという前提で、まずこの三部作の第一作である『バットマン ビギンズ』を観てみた。

子どもの頃に両親を強盗に殺されたブルース・ウェインが、長じてチベットかどこかで修業をして心身を鍛練し、正義のために闘うバットマンとなる過程を描いた物語。正義とは何かを問いかけるシリアスなテーマを根幹に据えながらも、ダークなテイストのアクションやユーモアをたっぷり盛り込んだ娯楽作品である。

今回、初めてiTunesでのムービーのレンタルを利用したのだが(料金は300円)、「いま観たい!」というときに、これは便利なものだな。ただ、最初は、ダウンロードの途中にエラーが発生し、課金だけされて観れずじまいになるのでは?という不安を覚えた。ネットで対処方法を調べ、今回は無事に観ることができたのだが(キャッシュを削除することで解決)、やはりなんとなく頼りない感じは残る。

情けないことに、観はじめてから、「観たことあったかも」という気がしてきたのだが、どこまでいってもそれが確信にはならない。しかし、「いやこれを観るのは初めてだ」とも思えない。どういうことだろう? テレビで、あまり気を入れずに観たことがあって、断片的にしか記憶がないということなのかもしれない。

今夜は第二作『ダークナイト』を観ようかな。
posted by kunio at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年06月18日

映画『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』

売れないピアノデュオの兄弟(ジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジス)と、彼らが打開策として雇った女性シンガー(ミシェル・ファイファー)の、ロマンチックでちょっと苦い、ウェルメイドな大人の映画。そしてミシェル・ファイファーの魅力炸裂の映画。ジェフ・ブリッジスの魅力も、かな。


posted by kunio at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年04月22日

映画『ハーブ&ドロシー』

ニューヨークのアパートにつつましく暮らす老夫婦ハーブとドロシーの生き方を描いたドキュメンタリー。ハーブは元郵便局員、ドロシーは元図書館司書。ともに身長150センチに満たないという小柄な二人ではあるが、数十年にわたって現代アート作品をこつこつと収集し、4000点におよぶコレクションを築きあげた米アート界の巨人なのである。
二人は美術展、ギャラリー、工房に足しげく通い、アーチストたちと家族同様の関係を築き、独自に磨き上げた審美眼で作品を選んで買い取る。方針は二つ。自分たちの給料で買える値段であること、そして1LDKのアパートに収まるサイズであること。買い取った作品の作者たちのなかには、クリストのように世界的に有名なアーチストに成長した者も少なくなく、ハーブたちのコレクションの資産価値は計り知れないのだが、彼らはけして作品を売ることはせず、つつましい生活を変えようとしない…。

アートに関心のある人はもちろん、そうでない人も、一つの生き方のモデルに触れるという意味で、興味深く見ることのできる作品であろう。

アメリカで制作された映画なのだが、監督は佐々木芽生(めぐみ)という日本人女性。NHKで仕事をしていた人で、これが初監督作品だという。現在、本作の続編を制作中とのこと。



posted by kunio at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年04月03日

映画『ソーシャル・ネットワーク』

バーバード大学に通うコンピュータオタクが、エリート学生から持ちかけられたソーシャルネットワークのアイデアを改良して友人とともに独自に立ち上げたサービスを発展させ世界的なものへと成長させていく過程の光と影を、彼を訴えたエリート学生や友人との訴訟の場から回顧する形で描いた物語。

これは名門校を舞台にした青春映画であり、世界的IT企業の創世の物語でもある。しかもそれが僕も含め世界で億単位の人々が実際に利用しているサービス(フェイスブック)を題材にしているわけだから、大いに興味をそそられる。しかし、題材がよいからといって面白い映画になるとは限らない。これがエキサイティングで、かつ深みを感じさせる作品に仕上がっているのは、やはり監督、俳優など映画製作に関わった人たちの力によるものだろう。

映画を観終わったあと、すぐにフェイスブックを見に行きたくなること必定である。
posted by kunio at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2012年03月30日

映画『グラン・トリノ』

かつて朝鮮戦争に従軍した、頑迷な一人暮らしの老人ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)と、隣のアジア系移民の少年タオとの交流を描いた作品。ウォルトはフォードの車を愛し、老いたとはいえ、自分のことは何でも自分でこなし、男はかくあるべしという強い信念を持っている(中西部の典型的白人?)。周りに増えた有色人種を蔑視しており、隣に住むアジア系のモン族の家族に対しても心を閉ざしていたが、少年タオがギャングたちにそそのかされてウォルトの愛車グラン・トリノを盗もうとしたことがきっかけで、ウォルトとタオの風変りな交流が始まる。やがてそれは父と息子のようなものに発展していき、ウォルトはさまざまな形で、タオに対し「男としての生き方」を自らの行動で示し、教える。そんなのどかな関係がギャングたちの襲撃によって壊されたとき、戦争で人を殺した体験を心の重荷として抱え込んでいたウォルトは、彼独自の方法によってタオに決着のつけ方を示す…。

シリアス一辺倒の映画かと思っていたのだが、ウォルトの口の悪さや、モン族とのカルチャーギャップの描写などが笑いを誘うし、ほのぼのとした雰囲気もあった。ウォルトの人物造形は、リアルというより戯画的な誇張が感じられ、そのせいか映画全体がどこか寓話的に思えた。

傑作とまでは思わないが十分面白い。そして、真っ直ぐに立って前を見据えるイーストウッドの姿が見られるということに喜びも覚える。




posted by kunio at 04:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画