2012年12月19日

ノーベル平和賞コンサートにカイリー登場

ノーベル平和賞を記念して毎年12月にオスロで開催されるノーベル平和賞記念祝賀コンサート。今年はカイリー・ミノーグが出演し、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」と「熱く胸を焦がして」を歌った。シドニー五輪の閉会式、エリザベス女王のダイアモンド・ジュビリー・コンサートなど、大舞台の経験なカイリーだけあって、堂々たるステージングを見せてくれたようだ。



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2011年10月10日

『THE COMPLETE Kylie』Simon Sheridan著、Reynolds & Hearn Ltd

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カイリー・ミノーグのキャリアを、1979年に子役で出演したドラマ「スカイウェイズ」から2008年の「KYLIE X 2008ツアー」まで詳しく紹介する本。ここにはアルバムやシングルはもちろん、テレビドラマ、映画、本、ツアー、テレビの音楽番組への出演なども含まれ、さらには、プライベート(恋愛、闘病など)についても書かれている。単なるデータの羅列ではなく、それぞれの作品の内容がわかりやすく生き生きと紹介され、当時のインタビューなどからカイリー自身の言葉も豊富に引用されている。

言い換えるとこれは、カイリーがどのようにショービジネスの世界に入り、どういう音楽をどういう経緯で送りだし、どういう浮沈を経験し、どういう恋愛をし、どういうふうにして今に至ったか、という内容の本である。
僕がカイリー・ミノーグに関心を持ち始めたのは昨年のことなので、彼女のそれ以前のキャリアについてはほとんど知らなかったのだが、その大きい空白を本書は埋めてくれたように思う。

英語に関してだが、ジェイソン・ドノバンの自伝と比べてて難しい言葉が多く、頻繁に辞書を引く必要があった。著者はライター(イギリスのポップカルチャー専門)だけあって、語彙が豊富なのだろう。

もう一冊、『La, La, La』というカイリーの本(カイリーとゲイハズバンドのウィリアム・ベイカーによる本)を入手してあるのだが、それはキース・リチャーズ自伝『ライフ』を読んでからにしたいと思う。
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2011年10月07日

名誉博士号を授与されたカイリー・ミノーグ

先日、カイリー・ミノーグの闘病体験について紹介した。それに関連するニュースが今日、飛び込んできた。イギリスのアングリア・ラスキン大学から健康科学の名誉博士号を授与されたというのだ。

2005年、カイリーが乳がんになったというニュースは世界を駆け巡り、乳がん検査を受ける女性たちが増えたという。これは「カイリー効果」と呼ばれている。その後もカイリーは、乳がんの啓蒙活動に積極的に関わってきた。今回の博士号授与は、それが評価されたことによる。

[シネマトゥデイ映画ニュース]カイリー・ミノーグ、乳がん啓もう活動を評価され名誉博士号を贈られる
http://www.cinematoday.jp/page/N0035928

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2011年10月05日

ゲイ・ハズバンド



カイリー・ミノーグのことを調べる過程で知ったのだが、「ゲイ・ハズバンド」(ゲイの夫)という言葉がある。女性とゲイの男性が、生活上のパートナーとしてやっていく場合に、その男性のことをそのように呼ぶらしい。男性のほうはゲイだから、両者に性的な関係はない。どちらかというと深いレベルの友情に基づく関係のようだ。

カイリー・ミノーグの場合、ウィリアム・ベイカーという男性が、公私にわたっての長年のパートナーで、ゲイ・ハズバンドであるとことをカイリーも公言している。もちろん、カイリーには、ウィリアムとは別に、ゲイではないボーイフレンドがいる。カイリー・ミノーグが、乳がんから復帰してツアーを再開したときの模様を記録した「ホワイト・ダイアモンド」というドキュメンタリームービーがあるのだが、これはウィリアム・ベイカーが監督した作品で、カイリーとウィリアムの親密な様子も頻繁に現れる。

ゲイではない自分からすると、ゲイハズバンドというのが女性にとってどういう存在であるかは分かりにくいところがあるが、「ホワイト・ダイアモンド」を見る限り、カイリーにとってそれが家族そのものといった大切な存在であることは見てとれる。
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2011年10月03日

カイリー・ミノーグの闘病体験

カイリー・ミノーグは2005年に乳がんを経験している。『ザ・コンプリート カイリー』(サイモン・シェリダン)にそのときのことが書かれているので、抜粋してみたい。

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カイリーが体調の不良に気づいたのは、「ショーガール」と題したツアーの途中だった。ツアースタッフには「たぶん歳のせいね。とても疲れたわ」と話していたが、当時のボーイフレンドの勧めで彼女は検査を受ける。5月に検査の結果を聞いた際には、ボーイフレンドと両親が一緒だった。ガンだと聞いたとき、彼女は茫然とし、「飛行機の予約があるから」とあわただしく席を立とうとしたという。そのことはいいからと、座らせたのは彼女の父親だった。「家族との関係はとても近いものなの」とカイリーは言う。「とくに母親は、私にとってはいつも友達のような存在だったんだけど、そのときは、彼女は母親に戻る必要を感じたようだったわ。そして私はまるで小さい女の子に戻ったようだった」

カイリーがガンであるというニュースは瞬く間に世界中で報じられ、オーストラリアの首相は、彼女のサポートを表明し、パパラッチたちに、カイリーに付きまとわないよう警告を発した。カイリーはツアーを無期限の延期とし、6月のグラストンベリーフェスへの参加も取りやめた(このときグラストンベリーに出演したコールドプレイは、カイリー・ミノーグのために彼女のヒット曲「熱く胸を焦がして」を演奏した)。「私は、自分の家に閉じこもって、ほとんど囚人のようなものだったわ」とカイリーは振り返る。手術は5月21日に行なわれ、以降、数週間、カイリーは公の場に現れることはなかった。

手術後、初めて公の場に出たのは、7月6日に、メルボルンの小児病院のガン病棟を慰問に訪れたときだった。彼女は、頭にスカーフを巻いていた。そのまま彼女はボーイフレンドともにフランスに移動し、そこで化学療法の治療を開始する。「幸運だったのは、母が治療の間ずっと一緒にいてくれたこと。母なしでは、どうやってその期間を過ごせばよいか私にはわからないわ」

それから14か月のあいだカイリーはフランスで過ごす。「その日々の間、誰も私を見ない、というか、私が誰にも会わなかった。起きていることも何もできなかった。角のカフェまで歩いて行けたら凄いものだった。」

彼女を喜ばせたのは、世界中のファンからの何千もの手紙だった。「たくさんの親切な手紙を受け取ったわ。アドレスは"カイリー、ポップ・プリンセス、オーストラリア"だけなの。」と彼女はいう。「それで届くなんて凄いことよね」

彼女の最後の化学療法のセッションは2005年11月18日だった。そして2006年の1月には問題なしという結果を得た。しかし、がん細胞の復活を防ぐために、さらに6か月間の放射線治療を受ける必要があった。「毛が生えはじめるときは感動ものよ。」と彼女はいう。「あ、まつ毛があるわ! あ、まゆ毛があるわ!」。6月には緩解したとのアナウンスがなされる。

2006年6月16日にカイリーはテレビのインタビューを受けている(この映像はYouTubeに6分割でアップされている。記事の末尾に映像のリストを付けておくので、ご興味ある方はどうぞ)。まだ髪は短いが、健康的な姿で、カイリーは厳しい闘病生活などについて率直に語っている。「がんになるということに関して重要なのは、その間もそのあとも、あなたは同じ人間だということ。」「私は私がかつてしていたことをしたいと熱望したわ。感傷的と思われたくないけれど、そういうものなの。その期間を楽しむようトライするのよ。笑ったり、海で泳いだり、ハグしたりキスしたり…」

闘病を経て何が変わったかについてカイリーはこう語る。「どこが変わったかをはっきりと言い表すことは難しいわ。去年までは、私の人生はとても慌ただしいものだった。旅行して、ツアーをして、レコーディングをして、といつも次から次へと動き回っていたの。それが、今年は、この試練の間、そういう生活からはなれていた。この経験が残したのは、その時々をよりよく生きるということね、強いアイデンティティの感覚を持って。」

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<カイリーの復帰直後のインタビュー映像(SKY One放送より)>

http://www.youtube.com/watch?v=68zDPvLBcQA

http://www.youtube.com/watch?v=6A_NL6F3hCw

http://www.youtube.com/watch?v=zQc3DGexnT8
(この↑映像の7:20あたりに「あ、まつ毛があるわ! あ、まゆ毛があるわ!」という当時の感動をかわいらしく表現しているカイリーが見られる)

http://www.youtube.com/watch?v=74jaRxPxtfE

http://www.youtube.com/watch?v=nPFiXNh57-U

http://www.youtube.com/watch?v=bCfxOnX3U78


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2011年09月03日

Misfit



ビートルズのメンバーとして有名になる前のジョン・レノンを描いた『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』を監督したサム・テイラー=ウッドは、1996年にカイリー・ミノーグを起用した『ミスフィット』というショートフィルムを制作している。これは最後のカストラートとして知られるアレッサンドロ・モレスキ(1858-1922)の歌声に合わせて、裸となって女性性を無防備にさらしたカイリーが歌うという、性的な混乱を誘うアートフィルム。

YouTubeに全編(といっても3分半ほどのものだが)が載っていた。ありがたやありがたや。
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2011年08月09日

カイリーとハッチェンス

まだ『ザ・コンプリート・カイリー』を読み続けている。INXSのマイケル・ハッチェンスとの恋愛についてのくだりが興味深いので、誰も関心はないと思うけれども、紹介しておきたい。

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彼女の人生を大きく変えた男は、オーストラリアロック界の悪ガキで、INXSの気まぐれなリードシンガーであるマイケル・ハッチェンスだった。この二人が最初に出会ったのは、カイリーがまだジェイソン・ドノバンと交際していた1988年、シドニーのバーでだった。ハッチェンスは酔っぱらって、彼女に「どっちを先にする? ランチとセックスと」と言ったという。どちらも、少なくともそれから一年ほどは行われなかったが。

12か月後、二人は、カイリーがツアーで訪れていた日本の大阪で再会。「彼女には驚かされたよ」とハッチェンスはイギリスとマスコミに語った。「逢ってどうなるか俺には本当にわからなかったが、逢ってみたら凄かったね。彼女はエネルギーに満ち溢れていたよ」。カイリーに惹きつけられたハッチェンスは夢中になってカイリーを追い、彼らの恋愛はたちまちのうちに、情熱的に進展し、ジェイソン・ドノバンをはじき出すことになった。「別れは、腹にパンチをくらったみたいなものだった」と失恋したドノバンは語った。「どうやってマイケル・ハッチェンスのようになれる? 勝ち目のない闘いだよ」
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カイリーは、ハッチェンスとの出会いで大きく変わった。彼女自身、次のように語っている。「マイケルは私に大きな自信を与えてくれたの。彼に出逢うまえは、私はとても控えめなたちだったんだけど、いまは違う。彼は、型にはまらないでがんがんやってみなよと私を後押しくれるわ。」

こうも語っている。「わたしは21で、彼の目の前で花開いたの」「私は日々変化していった。それは彼をほとんど不安にさせるほどだったけど、彼は喜んでくれていたわ」

そんななかで作られた「ベター・ザ・デビル・ユー・ノウ」のPVは、それまでの、品の良い御嬢さん的なカイリーとは打って変わって、大人びたセクシーな面を前面に押し出した映像になっている。そこにはカイリー自身の意志が反映されているそうだ。



この映像でカイリーは大きな指輪をしているのだが、前掲書によるとそれには M の文字が入っているのだという。もちろん、それはマイケル・ハッチェンスの M 。2分52秒当たりのところを見ると、確かにMの文字が確認できる。
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2011年07月24日

Honcho

カイリー・ミノーグのキャリアを詳細に解説する『ザ・コンプリート・カイリー』という本を読んでいるのだが、そのなかに honcho という言葉が出てきた。カイリーのデビューシングル「ロコモーション」について記載したくだりだ。その一文を引用しよう。

Kylie's version of the song was deemed too raw for commercial release so Mushroom's head honcho Michael Gudinski gave the recording to English sound engineer Mike Duffy.

マッシュルーム(Mushroom)というのは、オーストラリアのレーベル。カイリーに「ロコモーション」を歌わせたものの、そのバージョンは市場で売るには荒削りすぎると考え、マッシュルームの head honcho であるマイケル・ガディンスキはイギリスのサウンドエンジニアにレコーディングを委ねたという内容だ。

さて、この honcho だが、アルク提供の英辞郎によると

〈米俗〉ボス、リーダー、首領、責任者、大物◆【語源】日本語の班長から

という意味なのだそうだ。
head honcho として熟語にもなっており、こちらは

〔組織内の〕トップ、主任、一番偉い人◆【語源】日本語の「班長」から

という意味になる。

日本語の「班長」に由来する言葉が、こうして一般の書籍で使われているとは…。上記には「米俗」とあるが、本書は英国で刷られたものなので、英国でも通じる表現なのだろう。

想像するに、日本の自動車メーカーが米国で現地生産をするようになった80年代に、工場で使われていたであろうこの言葉が米国で広まりだしたのではないだろうか。あるいは、米国における日本車の工場を描いた映画『ガンホー』あたりで使われていたのだろうか(この映画は観てないのだが)。
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2011年06月14日

『ザ・フェイス』とカイリー

1994年にカイリーが『ザ・フェイス』の表紙を飾ったと以前の記事に書いたが、それ以前にもあったようだ。だから何?って話だけど、一応、補足しておきます。

1991年10月号
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1994年6月号
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2002年1月号
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2011年06月13日

「ザ・フェイス」とジェイソンとカイリー

かつて英国に『ザ・フェイス』という雑誌があったそうだ。創刊は1980年。音楽、ファッション、カルチャーの先端を取り上げ、流行に敏感な若者たちに絶大な支持を得ていた。表紙にケイト・モスを使い、彼女を世に送り出したことでも知られている。
http://blogs.creativepool.co.uk/files/2011/04/TheFaceKateMoss1990.jpeg

この雑誌のことはジェイソン・ドノバンの本で知った。ポップスターであった当時のジェイソンは、時代の最先端を走るクールな存在であることに憧れ『ザ・フェイス』の表紙を飾ることを夢見ていたが、自身がそのような存在でないことはよくわかっていた。自分は、どこにでもいそうな隣の男の子として世に認知され、明るく元気な存在として愛されている、と。

皮肉なことに、1992年にジェイソンは「ザ・フェイス」を訴えることになる。同誌に掲載されたジェイソンのインタビューが、ジェイソンの意図と違った内容になっていることが理由だった。これを一つのきっかけとして、ジェイソンはショービジネスの表舞台から去り、ドラッグへの依存度を高めていくことになる。

もう一つ皮肉なことには、(ネットをぶらついていてたまたま発見したのだが)ジェイソンのかつての恋人であるカイリー・ミノーグが同誌1994年6月号で表紙を飾っているのだ。ジェイソンにとっては憧れで終わったことを、かつての恋人が果たしたわけで、ジェイソンとしては複雑な心境だったのではないだろうか(このことは自伝では触れられていない)。

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http://www.flickr.com/photos/kevingonsalves/2742562742/in/pool-801505@N24/lightbox/
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2011年06月10日

カイリー・ミノーグ曰く

オーストラリアの放送局ABCのサイトに、4月のカイリー・ミノーグの来日についての記事があった(4月22日のもので、ちょっと古いのだが)。

こういう内容だ。

公演のために来日したカイリーは、ギラード豪首相らとともに、日本支援のためのチャリティーディナーに参加。ディナーに参加することで、日本を支援する気持ちを示したかったと語った。震災のショックや福島原発の危機が続いているけれども日本での公演を中止しないとも。「これについては長く懸命に考えたけれど、決断するのは簡単ではなかった」「世界中の人々と同じくこの大災害に私もショックを受けた。ですが、最終的には来たいと思ったのです」
http://www.abc.net.au/news/stories/2011/04/22/3198896.htm

3月4月は海外アーチストの来日公演が次々にキャンセルになっていたが、そんななかでカイリー・ミノーグが来日した背景には、彼女自身の熟慮と決断があったわけだ。
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2011年06月08日

ジェイソンとカイリーの別離

まだジェイソン・ドノバンの本を読んでいる。カイリー・ミノーグとの別れの顛末に、大いに感情移入しつつ。

オーストラリアの国民的人気ホームドラマ「ネイバーズ」で共演している間に、二人の間に恋が芽生える。ドラマのなかでも恋人どうし、現実世界でも恋人どうし。二人は常に一緒で、幸せな日々を過ごす。

変化が生じたのは、カイリー・ミノーグが歌手としてデビューし、ポップスターとしての道を歩み始めてから。「ザ・ロコモーション」や「ラッキー・ラブ」の大ヒットを得て、彼女は「ネイバーズ」を辞めて音楽の世界で働くことを選ぶ。ジェイソンとの関係は続いていたものの、プロモーションやレコーディングなどで多忙なカイリーは、ジェイソンと一緒に過ごす時間が少なくなっていく。

しばらくしてジェイソンも歌手デビューを果たす。音楽の仕事をすることは彼の夢であった。彼の曲もヒットし、彼もまた「ネイバーズ」をやめ、イギリスに拠点を移すことになる。

ともに忙しく世界を飛び回っているなか、ジェイソンは米国のLAでカイリーと一緒に過ごす機会を得るのだが、二人の間の愛情あふれる関係が失われていることに気づく。カイリーは自分にもう関心がないかのようだ。休暇を終え、ジェイソンはNYへ、カイリーはアジアへとそれぞれの仕事に向けて飛び立つのだが、ほどなくして日本からカイリーが電話をかけてくる(1989年の日本公演のときか)。彼女は「終わりね」という。取り乱すジェイソン・ドノバン21歳。

かわいそうなジェイソン! オーストラリアには、二人で住むつもりだった家も用意してあった。落ち込んでいるジェイソンのもとに、カイリーがINXSのマイケル・ハッチェンスと付き合いだしたというゴシップが入ってくる。ジェイソンはINXSの大ファンで、カイリーとジェイソンは、一緒にINXSのライブの打ち上げに参加させてもらったことがあった。そのときマイケルはカイリーを独占し、耳元で何やらささやき、カイリーが楽しそうに笑う、そういう光景が見られた…。(自分と別れる前からカイリーがマイケルと逢っていたのかどうかはわからないとジェイソンは語る。カイリーの本も注文しているところなので、カイリーの側からこの顛末について語られているかどうかチェックしたいとも思う)


世界的スターどうしのカップル誕生にメディアは大喜びし、ゴシップ紙には二人の写真が頻繁に登場する。それを見るたび、ジェイソンは傷口に塩をすり込まれるように感じる。

こりゃあキツイよなあ。

Kylie Minogue & Michael Hutchense



ところで、INXSのマイケル・ハッチェンスは1997年に自殺している。その時点ではすでにカイリーとは別れているのだが、友人としての関係は続いていたようだ。葬儀にあらわれたカイリーの映像が残っている。


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2011年06月06日

元彼が語るカイリー・ミノーグ



カイリー・ミノーグのことをもっと知りたいと思い、元彼であるジェイソン・ドノバンの自伝を読んでいる(我ながら物好きだと思うのだが)。二人は十代のころオーストラリアで「ネイバーズ」というドラマに出演し、大スターとなった。当時のカイリーのことをジェイソンは、次のように書いている。

「カイリーは繊細な心の持ち主だった。彼女は深く考え、いろいろな意味で自制心が強かった。撮影時以外は、スタジオの隅に一人で静かに座って、台本を読み返したり楽しそうにカゴを編んだり刺繍をしたりして、それに没頭していたものだった。彼女は夜更かしは嫌いで、酒は飲まず、両親を困らせるようなことをすることはなかった。両親は彼女にとってすべてだった。それがいろいろな意味で彼女を特徴づけていた。若くして多くのことを成し遂げた人間であるにもかかわらず、彼女はとてもしっかりとしていた。彼女の両親は、いつも子供たちに夢を追うよう励ましていたが、子供たちがしっかりと地に足の着いた人であるように育てた。仕事においては、ダニー(カイリーの妹)とカイリーはスターだったが、家庭に戻れば普通の子供として扱われた。その結果として、カイリーは、どんなことも当たり前のこととは考えず、そのため彼女とはとても仕事がしやすかった。80年代の終わりに彼女の名声が高まったときでも、彼女はけしてのぼせ上がることはなかった。気取ったり歌姫ぶることがなかった。彼女はまったくふつうで、気立てのよい女の子であった。しかし、カイリーの長所としてとても敬服させられたのは、彼女の性格の強さだ。彼女は、なすことすべてに対して鋼のような決意と集中でもってあたった。振り返ってみて、彼女が取り組んで達成したことのすべてに驚嘆させられる。」("Between the Lines - My Story Uncut" by Jason Donovan)


カイリー・ミノーグの映像をいろいろ見ていくと、ダンスも歌も、若い頃よりも現在のほうがずっと洗練され魅力的なのである。それは自然とそうなったのではなく、強い意志による努力によって達成されたのだということが、ジェイソンの記述からうかがわれるではないか。
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