2013年03月17日

『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』野間易通著、河出書房新社

金曜官邸前抗議.jpg

総理官邸前で毎週金曜日に行われている脱原発を求める抗議集会。最初は300人ほどでスタートしたこの活動は、政府が脱原発から離れていくのに反比例するように参加者が増え、2012年6月29日には何万人もの人々が官邸周辺に溢れた。官邸前が人で埋め尽くされるというのは60年安保闘争以来というし、そのような運動の代表者と時の総理が面会した(2012年8月22日)というのも前例のないことだ。それは達成というよりは、主催者の一人ミサオ・レッドウルフ氏が述べるように「通過点に過ぎない」のだが、そのような事象を導いたこの抗議活動が画期的であることは間違いない。本書はこの画期的な抗議活動を支えるスタッフの一人による貴重な記録である。

この集会では、一画にスピーチエリアが設けられ、さまざまな人たちが短いスピーチをするのだが、本書巻末には、その抜粋が掲載されている。集会に参加したことのない方には、ぜひこの部分に目を通してもらいたい。ごく普通の人たちが、やむにやまれぬ思いで参加しているということがわかってもらえると思う。ひとつだけ、大熊町から避難している女性のスピーチをここに引用しておこう。

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福島第一原発の地元、大熊町から避難している。原発から7kmのところに新築して入居できなかった自宅を置いてきた。この1年のあいだに私たちはどれほど振り回され、分断されたか。とてもこの気持ちを言い表せない。怒る元気もない。うちの年間推定放射線量は、99ミリシーベルトです。「100ミリは超えないので安全だ」と言う人がいる。どうぞ我が家を貸します。警戒区域に、国会でも民主党本部でも移して、そこで決めたらいい。
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ところで、このような集会やデモは、果たして効果があるものなのか。著者の野間氏は「実を言えばこの問いは、デモをやっている側も常に自問自答している」という。政治は複雑な要素が絡んで動いていくものだろうから、デモの効果を検証するのは容易なことではないと思う。しかし、少なくともこの官邸前抗議に関しては、効果があったし、これからも影響を及ぼしていくといってよいのではないだろうか。少し長くなるが、それに関する記述を引用しておきたい。

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もし金曜官邸前がなかったら、いまごろもっとたくさんの原発が再稼働されていたはずだ、ということはよく言われる。再稼働を2基にとどめているのは、官邸前にあれだけ人が集まっているからだ、と。
「集まっている人が思っている以上に、官邸前に何万人も毎週来るってことが、ものすごいプレッシャーになっていたことは確かです」
そう断定するのは、小熊英二だ。
「僕は金曜夜はたいていドラム隊と一緒に霞ヶ関を回ってますけど、官僚は気にしてますよ。いやがってます、はっきり言って(笑)。それに敵は一枚岩じゃない。民主党のなかに脱原発派がいるように、経産省だろうが文科省だろうが、あらゆる組織には反主流派がいるんです。反主流派は表だって組織の方針に反することを言えない場合が多いけれど、『こんなに人が来ていますよ、考え直したほうがいいんじゃないですか?』というふうに、院外圧力を借りて政治を動かそうとする。決定が公表済みの政策課題を動かすのは容易ではないですが、まだ水面下で検討中の課題にはけっこう影響する。大飯原発がすぐに止まらなくても、官邸前デモが2012年夏に検討中だった中長期のエネルギー政策に影響したことは明らかです。経団連の意向に反するような政策を公表させたわけですからね。いうなれば、2012年夏の局面に限っていえば、官邸前デモは経団連に勝ったんですよ」
元経産省大臣官房付の古賀茂明もまた、『SIGHT』(53号)のインタビューでこう語っている。
「あんなことやってもただの自己満足じゃないかとか、いろいろ批判している人たちもいますけど、そんなことはなくて、官邸はあれをものすごく気にしているわけですよ。この間(8月22日)も、デモの中心の人たちに、首相が会ったじゃないですか。あれも、ポーズだとか、総理がただ従来の方針を述べただけじゃないかとか言う人もいるけど、会うっていうことが異常ですよ。異例というよりも異常。要するに、官邸前に数を集めれば総理と面会できる、っていう前例を作っちゃったわけですから」
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さて、本書から離れてしまうのだが、菅直人元首相のインタビューが「現代思想」2013年3月号に掲載されている。聞き手は、上に名前の出ている小熊英二氏である。小熊氏は、震災直後の原発事故への政府の対応についても質問していて、それはそれで非常に興味深いのだが、デモの効果についても詳しく訊ねている。一部を引用したい。

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小熊 官邸前の抗議行動は、政権や民主党に対してプレッシャーになったのでしょうか。

 当然影響をあたえていたと思います。理由の一つは、衆議院選挙が迫っていたことです。選挙の実施日程は決まっていませんでしたが、いずれにしても任期満了までは半年余りを残すばかりでした。私はエネルギー環境調査会では、脱原発を選挙で争点化するための民主党の姿勢を決めたいと考えていたのです。脱原発を次の選挙の大きな争点とするべきだということは、私だけでなくかなりの民主党議員が思っていたことです。そういう背景がありましたから、多くの国民の声があがっているという事実は、いろいろな影響をあたえていたと思います。

(中略)

小熊 七月には「さようなら原発1000万人アクション」が主催した代々木公園の集会に17万人が集まりました。また八月には、パブリックコメントと討論型世論調査も行われ、原発ゼロの意見が多数を占めました。
パブリックコメントについては、『世界』2013年1月号の、下村健一内閣参与のインタビューが触れています。それによると、原発ゼロの意見の数以上に、組織の指令で送ってきたと思われる判で押したような文言ではなく、一通一通のコメントがよく考えられた自分の言葉だったことに効果があったという。一人ひとりの真剣さが伝わってきて、チェックする身としても、感じるところが非常に大きかったということです。これは別の担当官僚からも聞いたことでもあります。それらの影響はどのくらいありましたか。

 パブリックコメント、あるいは曽根泰教さんがされた討論型世論調査は、非常に大きな影響力を持ちました。そこに到るまではいろいろな問題があり、とくに公聴会では原発依存度0パーセント、15パーセント、25パーセントという、事前に経産省が設けた選択肢ごとに均等に人を割り振ったことには、強い批判も受けました。こうした問題を徐々に是正しつつ、最終的には8割近い人が原発ゼロを支持することが明らかになったわけです。街頭の運動に合わせて、行政も絡んで中立的に行ったこれらの調査でも、明確な脱原発を望む国民の意識が示されたのは、とても大きな出来事でした。私や多くの民主党議員が、次の総選挙で原発をめぐる問題は大きな争点となるだろうと考え、脱原発を党内議論で強く主張できたのは、こうした結果もあったからです。
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ということだ。声を上げよう。効果はあるんだから。



posted by kunio at 08:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・文学
この記事へのコメント
私の中学高校の先輩で長く国連機関で働き、札幌に戻られて3.11以降、脱原発運動に関わって来られた泉薫さんが3月7日に亡くなられました。SHUT泊の代表をされていました。
http://japansafe.net/index.html
昨年の肥田舜太郎さんの講演会で会ったときには「脱原発運動をライフワークにする」とおっしゃっていて、私はきっと議員になられる方だと思っていたのですが、その頃から闘病されていたようです。本当に残念です。安倍政権になり脱原発がなしくずしにされそうな空気ですが、泉さんのような強さはなくても抵抗の声をあげ続けていきたいと思います。
Posted by タカコ at 2013年03月18日 11:26
タカコさん、泉さんは北海道の脱原発に関わってらしたんですね。この本にも出てくることなのですが、官邸前抗議の参加人数はピーク時より少なくなってますが、同じような抗議活動が全国に広がっていて、むしろ全体としては規模は拡大しているといえそうですね。
Posted by kunio at 2013年03月18日 12:48
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