2013年03月07日

『アメリカほ本当に「貧困大国」なのか?』冷泉彰彦著、阪急コミュニケーションズ

初めてキンドルでアマゾンから本を購入した。アンドロイドのスマートホンとiPadにキンドルのアプリを入れたのだが、どちらでも読めるし、どっちの端末で開いてもちゃんと、読んでいた箇所が自動的に表示される。おもにスマホのほうで読んだのだけど、スマホで本が読めるというのは、なかなか快適だということもわかった。ただ、モノとして本が手元に存在しないというのは、どこか不安感というか物足りなさというか、そういう感じはある。読んだ本を、「これ面白かったよ」と人に手渡しできないし、ページに折り目を付けたり傍線を引いたり(僕はよくやる)ということもできない。紙の本よりもだいぶ安価なので、さっと読みたい本についてはこれからもキンドルを利用するかもしれないが、これをメインにしようというところまではまだ踏み切れない気がする。

さて、本の内容のほうだが、これはまず堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)への反論として書かれている。堤氏が提示してみせた貧困や格差は、米国の一面に過ぎない。格差がある一方、機会均等の確保のために多大な努力がなされている。その両面を見なければ、米国の実相は捉えられない。ということのようだ。ルポというのは、そもそも全体像を示すものではなく、一つの視点に立って現実のある部分を切り取って見せるものだろうから、堤氏のやり方が間違っているとは言えないと思うのだが、米国そのものを知るという意味では、本書のように別の観点にも触れることは必要であろう。

本書では、オバマ大統領にもスポットを当てている。オバマの政策や、ときどきのメッセージなどから、オバマの思想を読み解く。保険制度改革を実現するための奮闘のくだりはエキサイティングといっていい内容。一方、反オバマ的な立場となる草の根保守やティーパーティー運動を支える人々の心情を考察する。このあたりは、非常に興味深く、また説得力があった。米国に長く在住しながらかの国を見つめてきた冷泉氏の真骨頂と思う。

余談になるけれど、オバマについての記述を読みながら感じたことがある。それは米国の大統領にしろ、日本の首相にしろ、国民は国のトップが大胆に力強くなにかをやってくれることを期待しがちだけれど、独裁国家でない以上、トップといえども権力基盤が許容する範囲のことしかできないということだ。トップに立つということは、特定の立場の支持だけでは実現しないわけで、どうしても幅広い、いろいろな立場からの支持が必要で、その複数の支持のうえに微妙なバランスで立つのが、民主国家の指導者の姿だろうと思う。個人的にいくら「これをしたい」という理想があっても、それをしようしたとたん失脚してしまう。そういうものなのではないだろうか。逆に言うと、国民が政治家に何かをしてもらいたければ、その政治家がそれをしても失脚しないだけの、大きな国民的支持を与えるしかないのかもしれない。
posted by kunio at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学
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