2012年12月03日

『日本の思想』丸山真男著、岩波新書

「日本の思想」「近代日本の思想と文学」「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」の4編からなる評論集。一番の面白かったのは、日本の思想のあり方を歴史的かつグローバルな視点から俯瞰した、表題作である「日本の思想」。彼の問題意識は、いまの僕らにとっても有効というか、本書で指摘されている状況は、21世紀の日本においてもそのまま当てはまる。むしろ、たとえばいまの政治状況を眺めるに、その根底にある問題が、1961年に刊行された本書ですでに指摘されている、と思えるのだ。

丸山は、こう述べる。「あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で――否定を通じてでも――自己を歴史的に位置付けるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統はわが国には形成されなかった」

いやいや、儒教、仏教、神道といったものが日本の伝統思想としてあるではないか、という声がすぐ出てくると思うが、それらは伝統思想であっても、「中核あるいは座標軸」に役割を果たしていないというのが丸山の主張だ。彼はこう書いている。「私達の思考や発想の様式をいろいろな要素に分解し、それぞれの系譜をたどるならば、仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なもの――要するに私達の歴史にその足跡を印したあらゆる思想の断片に行き当たるであろう。問題はそれらがみな雑然と同居し、相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としていないところにある。そうした基本的なあり方の点では、いわゆる「伝統」思想も明治以降のヨーロッパ思想も、本質的なちがいは見出されない。近代日本が維新前までの思想的遺産をすてて「欧化」したことが繰り返し慨嘆される(そういう慨嘆もまた明治以後今日までステロタイプ化している)けれども、もし何百年の背景をもつ「伝統」思想が本当に遺産として伝統化していたならば、そのようにたわいもなく「欧化」の怒涛に呑みこまれることがどうして起こりえたであろう。」(太字は引用者による。以下同様)

そういう思想のあり方の結果としてどういうことが起きるか。
「一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、かえってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずにかたわらに押しやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる」
「これは特に国家的、政治的危機の場合にいちじるしい。日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。その一秒前まで普通に使っていた言葉とまったく内的な関連なしに、突如として「噴出」するのである。(近代史の思想的事件として、たとえば維新の際の廃仏毀釈、明治十四年前後の儒教復活、昭和十年の天皇機関説問題など。)」

この思想的座標軸の不在が、明治の国家建設において重大な意味を持つこととなる。帝国憲法草案審議の席で議長の伊藤博文は、ヨーロッパのような憲政の伝統や人心を統合する宗教が日本になく、国家の機軸になるものがないということを述べ、「我国にあって機軸とすべきは、ひとり皇室あるのみ」と断ずる。このことを紹介したうえで丸山は次のように述べる。

「「国体」という名でよばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるまったか」「かつて東大で教べんをとっていたE・レーデラーは、その著『日本=ヨーロッパ』のなかで在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。一つは大正十二年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固にあたった警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を阻止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。このようなぼうとして果てしない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。もう一つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)、「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのように危険な御真影は学校から遠ざけたほうがよいという提議が起こった。校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いたほうがよいというようなことは全く問題にならなかった」とレーデラーは誌している。日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力行使に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなあり方は到底考えられなかったであろう。どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁ではなく、また例外的でもないというのである。」

このような責任のあり方は、上流においては逆に責任の所在をあいまいにする形となっている。「明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制が作られたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為関連を好む行動様式が冥々に作用している。「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。」

これは明治憲法下の話ではあるけれど、「無限責任のきびしい倫理」であるとか「巨大な無責任」という現象は、いまのこの国にもそのまま残されているように思うのは僕だけだろうか。
posted by kunio at 03:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学
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