加藤周一の『日本文学史序説』によると、近世の日本においてキリスト教の布教にあたったイエズス会は、当初、主な宗教用語に日本語訳を用いる方針だった。たとえば神は「大日」、「天帝」、「天道」、「天主」。悪魔は「天狗」、キリストの愛は「御大切」(ごたいせつ)とした。しかし、のちにはポルトガル語やラテン語をそのまま外来語として用いる方針に切り替えたという。
「宣教師の側に、日本語概念の転用が教義内容の誤解を生み易いという考えが、強かったからであろう」と加藤は推測したうえで、次のように整理している。「けだし外来語の採用は、原語の意味の歪曲を避けるのにいくらか役立ったであろうが、思想の普及には障害になったろうと想像される。逆に明治に採用された徹底した翻訳主義は、あきらかに西洋思想の普及を助けたにちがいないが、しばしば訳語の意味が原語のそれから遠ざかるのを防ぐことができなかった。」(『日本文学史序説 上』p.412、ちくま学芸文庫)
分野は違うものの、現在においてTCに関わる者は近世のイエズス会と同じような苦労をしているといってよいのではないか。ユーザーエクスペリエンス、アフォーダンス、アベイラビリティ、クラウドコンピューティング……。そのまま外来語でいくのか、日本語訳を用意するのか。
まあ、いまは、方針を改めたイエズス会と同様、外来語でいくのが一般的かもしれない。強引な日本語訳では「誤解を生み易い」ということもあるだろうし、原語の意味に相当する言葉自体が日本語にないとか、次々に登場する新用語に翻訳では対処しきれないという事情もあるかもしれない。
かつてのイエズス会の苦労と我々の苦労の類似を考えるとき、ITの世界でもエバンジェリスト(伝道者)という役職があるのが妙に面白く感じられる。
※「イエズス会」を「イエスズ会」と書いてしまっていたので、修正しました。
2010年03月11日
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