2015年06月23日

映画『わたしを離さないで』



カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』を読み、それを原作とする映画を観た。よく言われるように小説と映画は別物で、それぞれの魅力があるとは思うのだが、この小説の恐るべき精妙さに感心した直後だったので、映画のほうはあらすじをスケッチしているような印象を受けた。とはいうものの、映像として目の前に現れるヘールシャムやコテージの風景、キャシーたちの姿形、聞こえてくる彼らの声やさまざまな音、そして Never Let Me Go の歌声、これに接することの喜びは、やはり読書にはない魅力だろう。

いまから考えると、映画を先にして、小説はあとにしたほうがよかったかもしれない。そうすれば、映画の雑な部分は気にならず、小説は小説で、映画でわからなかった細部やプロセスがたっぷり楽しめるのではないかと思う。まだどちらも、という方には、映画を先に、と勧めておこう。

ところで、小説を読みながら、映画を観ながら、魚の小骨のようにずっと心のなかに引っかかることがあった。人間がどれほど堕落しようとも、この物語の設定ほど残酷なシステムは採用しないだろうという思いだ。いや、いまでももっと残酷なことがこの世界では行われているではないか、と言われればそれはそうなのだが、少なくとも民主主義国においてはそこまでのことはないはずだ、と思う。弱者を犠牲にして強者の利益を確保する、さらには犠牲にするための弱者を生み出していく、世の中はそんな仕組みになっているんじゃないのか? それと『わたしを離さないで』の世界にどれほどの違いがあるのか? 紙一重じゃないのか? そのように問われれば、自信は揺らぎはじめるのだけれども。


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2015年06月02日

『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗著、ちくま文庫

水村美苗著『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(ちくま文庫)読了。面白かったし、蒙を啓かれるところ多かった。海外生活の長い女性作家による日本語論、という外部情報だけから、超復古的トンデモ本的に仕分けてしまうかたもいるかもしれないが、けしてそのたぐいではなく、時間的にも空間的にも広く深く言語・言葉のありかたについて考察した、理性的で説得力のある内容。

本書のなかでは小さな枝葉の記述だが、ひとつハッとさせられた箇所があった。370ページの「当用漢字」についてのくだりだ。いま、ライター、記者、公務として文章を書く人などはみな、使用する漢字については「常用漢字」を意識しているはずだが、「常用漢字」の前は「当用漢字」というものがあって、僕が子供のころはそれを習った。この「当用」の意味が、「漢字の全面的な廃止が政府決定されるまでのあいだ、当面使用される漢字」ということだったというのだ。

恐ろしや恐ろしや。
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Googleフォトの検索機能に驚く

さきごろ機能強化されたGoogleフォトがすごいという記事を読んで、試したところ、確かにそうだった。Googleフォトというのは、写真を保存・管理するクラウドサービスなのだが、何がすごいかというと、要するに検索機能。Google側で写真の中身を自動的に解析し、何が写っているかをある程度は把握しているようなのだ。
なので、たとえば「ネコ」で検索すればネコの写真が出てくるし、「自動車」で検索すれば自動車の写真が出てくる(そうじゃない写真もちらほら混ざっていたりもするが)。「飛行機」「空」「海」「山」「川」「女性」「男性」「自転車」「駅」「ジュース」「机」「ベッド」「夜」「月」「ギター」「ライブ」「バー」、これらのキーワードはすべて、精度の差こそあれ、該当の写真をピックアップしてくることができた。「イヌ」で出てきたのがネコだったり、「女性」で出てきたのが写真のなかにベネディクト・カンバーバッチの写真があったりと、ご愛嬌もあるのだが、とにかくすごい。
Googleよ、どこまでいくのか。
posted by kunio at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | PCとネット