2013年08月30日

外来語乱用で訴訟

NHKの外来語乱用で精神的苦痛を受けたということで、岐阜県の71歳の視聴者がNHKを訴えたというニュースが6月にあったのを覚えているだろうか。「変な人がいるものだ」という程度の印象しかなかったのだが、その視聴者に取材した記事が今日の朝日新聞に載っており、意外と筋の通った主張だと思えてきた。

記事によれば、時代小説で日本語の美しさを再認識し、それとともにニュースなどでの外来語の乱用に不快感・不信感を覚えるようになったという。

「ファンド」「コンテンツ」「ネットナビゲータ」――。日本の公共放送がなぜこんなに外来語を使うのか。それが正しいのか、問題なのか、しっかり議論したいと男性はいう。「私はあとは消えていくだけ。議論のための一粒の種を残したい。麦をね」(朝日新聞2013年8月30日)


テクニカルライティングの世界では「わかりやすさ」が第一で、「美しい日本語」というレベルのことが意識されることはあまりないだろう。しかし、「わかりやすさ」の観点からいっても、外来語の乱用は問題だろう。気をつけるべきことだ。

とはいいつつも、外来語を覚えてもらわなきゃどうしようもない、というのがITの世界だから、ことはやっかいだ。永遠のテーマかな、これは。
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2013年08月03日

映画『選挙』

Gyaoで無料で公開されているのを観た。
2005年、川崎市の市議選に、公募で自民党の公認候補となって出馬した政治活動未経験の男性の選挙戦に密着したドキュメンタリー映画。監督の想田和弘が「観察映画」というとおり、ナレーションもBGMもなく、ただただ対象を観察するかのように、街頭演説、選挙事務所のようす、級友たちとの会話、妻との会話・口論、保育園の運動会まわり、神社のお祭りへの参加などなど市議候補の十数日間を追う。

そんな映画が面白いのかと問われるなら、答えはイエス。僕は惹きこまれた。何が面白いかというか、そこには未知の世界、すなわち選挙の生々しい舞台裏があって、「こうやっているのか」「こうなっているのか」という驚きがある。街頭演説では3秒間に一度は名前を言う、配偶者のことは妻ではなく家内と呼ぶ、握手は相手の目を見てするなどなど選挙の具体的で細かいノウハウも出てくる。選挙事務所に集まるボランティア(自民党の支援者)や、自民党候補の演説会に集まる人々の姿にも「そうか、こういう人たちに支えられているのか」という感慨を覚える。

自民党の公認候補として選挙に出るということは、上から下までがっしりと構築されているシステムのなかに組み込まれるということで、否応なしにそのジグソーパズルの1つのピースとしての形に合わせなければならない。その苦行めいた選挙戦の日々に、映画を観ているこっちまで息苦しくなってくるようだった。

「未知の世界」と書いたけれど、じつは知っている部分もないではない。子どもの頃は、父親が地方都市の市会議員をやっていたので(自民党ではない)、選挙のたびに家庭がそこに巻き込まれた(授業中に父親の宣伝カーが学校の近くを通るのが苦痛だったなあ)。学生時代は、それとはまた別の政党の選挙にボランティアとして参加したこともある。その経験と照らし合わせると、既成政党はそれぞれに色合いの異なる支持基盤や支援団体を持っているのだが、選挙のノウハウは、かなりの部分、共通しているんじゃないかという気がする。そしてそれは、候補者の掲げる政策であるとか、主義主張であるとかよりも、もっと泥臭いもの、人間的要素に関わるものが大きいんじゃないかという気がする。そこに、何かやりきれない感じが僕はしたんだけれど、皆さんはどうだろうか。

期間限定だと思うけれど、いまならまだこの映画が無料で視聴できるので、ご興味のある方はどうぞ!

http://gyao.yahoo.co.jp/player/01017/v00001/v0000000000000000001/
posted by kunio at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画