2013年02月18日

映画『ロック・オブ・エイジズ』

80年代のLAを舞台に、成功を夢見る若いカップルのロマンスと、名声に溺れて堕落しかけたロックスター(トム・クルーズ)の再生を中心に、ライブハウスオーナー(アレック・ボールドウィン)、ロック誌の女性記者、ロックスターのあこぎなマネージャ、かつてグルーピーだった過去を隠してロック排除を訴える市長夫人(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)などの人間模様を群像劇として描くロックミュージカル。

80年代ロックのヒット曲が多数使われ、当時のロックに親しんでいた者には楽しい作品。その多くはかつて渋谷陽一らが「産業ロック」と批判したもので、僕もそれに同調していたけれど、いま聴くと、そういうジャンルにもやはり役割があったのだという気がする。

こういう映画は、やりすぎなくらいやるのが正しいようで、トム・クルーズ演じる堕落した超セクシーなロックスターのエロエロさや、ロック排斥運動の旗振り役の市長夫人を演じるキャサリン・ゼタ・ジョーンズの闘士ぶりなど、大スターたちの過剰な演技がとても楽しい。

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2013年02月12日

映画『マリリン 7日間の恋』

映画撮影のためにイギリスにやってきたマリリン・モンローと恋に落ちた若い助監督の手記に基づく、マリリンとの数日間を描いた作品。

主演のミシェル・ウィリアムズは、世界を魅了したマリリンのこの世のものとは思えないほどのかわいらしさと、底知れない孤独を表現し、強烈な印象を与える。

この作品を観ながら、女というものについて考えないではいられなかった。というのも、つまるところマリリン・モンローというのは、良い意味でも悪い意味でも、女らしさの究極であり、それがむき出しになっている、そういう存在であると思うからだ。その本質は、愛されたいという欲求。誰かに、永遠に、ゆるぎなく、愛されたい。その満たすことのできない深い渇望が、彼女をスターにもし、彼女を死へと追いやりもした。ふつうの女性も、そこまで極端ではないにしろ、同じ色(赤い色?)をした渇望を抱えて、それにしばしば突き動かされるようにして生きているのではないだろうか。

女の本質が「愛されたい」なのであれば、男の本質は何なのか。それについてはまた別の機会に考えることにしたい。

ともあれ、この映画は面白い。大人の皆さんに推薦します。

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2013年02月07日

映画『西の魔女が死んだ』



何年か前にテレビで放映されたものなのだが、やっと観ることができた。

不登校の感受性豊かな少女(高橋真悠)が、日本の自然の中に溶け込むようにして暮す祖母(サチ・パーカー)のもとで過ごしたひと月ほどの日々を描いた作品。穏やかで勤勉で、それでいてどこか超越的でもある祖母との暮らしのなかで、少女の心は解きほぐされ、弾力を取り戻していき、やがて別れのときがやってくる…。これは少女の成長の物語であると同時に、大人がどのように子供の成長を見守り、後押ししていくのがよいかを問いかける物語でもあると思う。

祖母が元英語教師のイギリス人で、理科教師と結婚して日本に根を下ろした人、という設定が、この作品に宮沢賢治風の少し翻訳調のファンタジックな独特な雰囲気をもたらしていて、子どもの頃に西洋の児童文学に親しんだ者に懐かしさを感じさせる。読んだことはないが、梨木香歩の原作がそういう雰囲気なのだろうか。

主役の高橋真悠は本作が映画デビュー。2008年の作品だから、もう5年も前か。今度は大人になった高橋真悠をスクリーンで観てみたい。


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2013年02月04日

映画『みえない雲』

「通販生活」の付録DVDに収録されていたもの。原発事故によって、平凡で幸せな日常がいかに破壊されてしまうかを若いカップルを中心に据えて描いたドイツ映画。2006年の作品ではあるが、2011年のフクシマを予言しているかのようにも見えた。いやそれは、大規模な原発事故が起きたときに、弱者が犠牲になり、家畜やペットは放置され、家族は離散し、ふるさとが失われるということが確実に起こるであろうことを考えるならば、その類似は当たり前のことなんだろう。そういう意味では、フクシマ後の日本を描いた園子温監督の『希望の国』とも同じ手触りが感じられるのもまた自然なことだろう。

原作はチェルノブイリ原発事故の直後に発表されたとのことなので、この映画もチェルノブイリの事故で高まった原発への危機感が背景にある。ドイツがフクシマの事故を受けて脱原発に舵を切ったのは、唐突なことではなく、そこまでの長い反原発運動があったからだという話を聞いたことがあるが、このような映画作品もそのような動きのなかで生まれたものなのだろう。

ドイツといえば、朝日新聞が2月3日の日曜版Globeで「知られざるドイツ」という特集を組んでいた。今年で8年目となるメルケル首相の素顔に迫る内容で興味深かった。彼女は名門ライプチヒ大学で学び、ドイツの科学アカデミーの在籍した物理学者だった。大学時代の後輩は「法の枠組みの中で考える法律家と異なり、物理学者は枠組み自体が時間によって変わる複雑なシステムの中で考える。メルケルは自然科学者の手法を政治の世界の中でみがきあげてきた」と評するという。フクシマの事故を受けエネルギー政策を転換する際にメルケルは「日本のできごとからわかるのは、科学的にあり得ないとされてきたことが起こるいうことだ」と述べたそうだ。これは、民意のあり方も含め、枠組み自体が変わったのだという認識を示したものということもいえるだろう。

話しは少しそれるけれど、「科学的にあり得ないとされてきたことが起こる」ということを物理学者であるメルケルが言葉通りの意味で言っているとは思えない。おそらくは、わかりやすく(日本の状況に即して)言いかえるならば、「原子力ムラの人々が”科学的にあり得ない”と言っていることが起こる」ということになるだろう。実際、日本では福島原発の事故の可能性については、事故以前からさまざまな形でさまざまな人々が科学的観点から警告してきていた。つまり、あの事故は、「科学的にあり得る」とされてきたことなのである。それを見過ごしてきたことが僕ら日本人の失敗なのだ。こんな失敗は、一度かぎりにしたいものだ。


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