ニューヨークのアパートにつつましく暮らす老夫婦ハーブとドロシーの生き方を描いたドキュメンタリー。ハーブは元郵便局員、ドロシーは元図書館司書。ともに身長150センチに満たないという小柄な二人ではあるが、数十年にわたって現代アート作品をこつこつと収集し、4000点におよぶコレクションを築きあげた米アート界の巨人なのである。
二人は美術展、ギャラリー、工房に足しげく通い、アーチストたちと家族同様の関係を築き、独自に磨き上げた審美眼で作品を選んで買い取る。方針は二つ。自分たちの給料で買える値段であること、そして1LDKのアパートに収まるサイズであること。買い取った作品の作者たちのなかには、クリストのように世界的に有名なアーチストに成長した者も少なくなく、ハーブたちのコレクションの資産価値は計り知れないのだが、彼らはけして作品を売ることはせず、つつましい生活を変えようとしない…。
アートに関心のある人はもちろん、そうでない人も、一つの生き方のモデルに触れるという意味で、興味深く見ることのできる作品であろう。
アメリカで制作された映画なのだが、監督は佐々木芽生(めぐみ)という日本人女性。NHKで仕事をしていた人で、これが初監督作品だという。現在、本作の続編を制作中とのこと。
2012年04月22日
2012年04月03日
映画『ソーシャル・ネットワーク』
バーバード大学に通うコンピュータオタクが、エリート学生から持ちかけられたソーシャルネットワークのアイデアを改良して友人とともに独自に立ち上げたサービスを発展させ世界的なものへと成長させていく過程の光と影を、彼を訴えたエリート学生や友人との訴訟の場から回顧する形で描いた物語。
これは名門校を舞台にした青春映画であり、世界的IT企業の創世の物語でもある。しかもそれが僕も含め世界で億単位の人々が実際に利用しているサービス(フェイスブック)を題材にしているわけだから、大いに興味をそそられる。しかし、題材がよいからといって面白い映画になるとは限らない。これがエキサイティングで、かつ深みを感じさせる作品に仕上がっているのは、やはり監督、俳優など映画製作に関わった人たちの力によるものだろう。
映画を観終わったあと、すぐにフェイスブックを見に行きたくなること必定である。
これは名門校を舞台にした青春映画であり、世界的IT企業の創世の物語でもある。しかもそれが僕も含め世界で億単位の人々が実際に利用しているサービス(フェイスブック)を題材にしているわけだから、大いに興味をそそられる。しかし、題材がよいからといって面白い映画になるとは限らない。これがエキサイティングで、かつ深みを感じさせる作品に仕上がっているのは、やはり監督、俳優など映画製作に関わった人たちの力によるものだろう。
映画を観終わったあと、すぐにフェイスブックを見に行きたくなること必定である。
2012年03月30日
映画『グラン・トリノ』
かつて朝鮮戦争に従軍した、頑迷な一人暮らしの老人ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)と、隣のアジア系移民の少年タオとの交流を描いた作品。ウォルトはフォードの車を愛し、老いたとはいえ、自分のことは何でも自分でこなし、男はかくあるべしという強い信念を持っている(中西部の典型的白人?)。周りに増えた有色人種を蔑視しており、隣に住むアジア系のモン族の家族に対しても心を閉ざしていたが、少年タオがギャングたちにそそのかされてウォルトの愛車グラン・トリノを盗もうとしたことがきっかけで、ウォルトとタオの風変りな交流が始まる。やがてそれは父と息子のようなものに発展していき、ウォルトはさまざまな形で、タオに対し「男としての生き方」を自らの行動で示し、教える。そんなのどかな関係がギャングたちの襲撃によって壊されたとき、戦争で人を殺した体験を心の重荷として抱え込んでいたウォルトは、彼独自の方法によってタオに決着のつけ方を示す…。
シリアス一辺倒の映画かと思っていたのだが、ウォルトの口の悪さや、モン族とのカルチャーギャップの描写などが笑いを誘うし、ほのぼのとした雰囲気もあった。ウォルトの人物造形は、リアルというより戯画的な誇張が感じられ、そのせいか映画全体がどこか寓話的に思えた。
傑作とまでは思わないが十分面白い。そして、真っ直ぐに立って前を見据えるイーストウッドの姿が見られるということに喜びも覚える。
シリアス一辺倒の映画かと思っていたのだが、ウォルトの口の悪さや、モン族とのカルチャーギャップの描写などが笑いを誘うし、ほのぼのとした雰囲気もあった。ウォルトの人物造形は、リアルというより戯画的な誇張が感じられ、そのせいか映画全体がどこか寓話的に思えた。
傑作とまでは思わないが十分面白い。そして、真っ直ぐに立って前を見据えるイーストウッドの姿が見られるということに喜びも覚える。
2012年03月29日
映画『ブロークバックマウンテン』
60年代のアメリカ西部。ブロークバックマウンテンという山での羊番の季節労働で知り合った二人の青年イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ジレンホール)が、山でのキャンプ生活を共にするなかで友情を結び、さらには愛し合うようになる。夏が終わり、二人はそれぞれ女性と知り合い家庭を持つのだが、ブロークバックマウンテンでの日々を忘れることができない二人は、逢瀬を重ねていく。やがて、二人で過ごす山での時間が本当の人生であり、家族との生活は偽物の人生という構図のなかで、二人の人生は徐々に破綻へと進んでいく…。
当時の米国では同性愛は許されないもので、それがイニスとジャックの愛を出口のないものにし、二人を苦しめる。二人のそれぞれの周りの人たちをも苦しめる。通奏低音のようにいつも聞こえてくる寒々とした風の音が、生きることについてまわる苦悩の呻きのようである。その苦しみを癒すように挟まれる山河の景色が、美しくも切ない。
当時の米国では同性愛は許されないもので、それがイニスとジャックの愛を出口のないものにし、二人を苦しめる。二人のそれぞれの周りの人たちをも苦しめる。通奏低音のようにいつも聞こえてくる寒々とした風の音が、生きることについてまわる苦悩の呻きのようである。その苦しみを癒すように挟まれる山河の景色が、美しくも切ない。
2012年03月26日
pray と play
イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」。いわずとしれた70年代のロックを代表する曲。あるいは70年代にピークを迎えたともいわれるロックそのものの終焉を告げる曲。
いま練習中なのだが、演奏していると、なんだか祈りをささげているような気持ちになってくる。ライブ映像の冒頭に映る、客席のあちらこちらでライターの火が掲げられているさまが、その気分をさらに深めていくようだ。
ところで、祈る(pray)と演奏する(play)は、まったく別の言葉だが、英語の綴りが似ているのは、何かつながりがあってのことだろうか。それとも偶然なのだろうか。
祈りの場で音楽が演奏されたり、音楽とは言えないまでも何かしら音の鳴るものが使われるということは、よくあるように思われる。そうすると、もしかしたらprayとplayは、同じところから生まれた言葉なのかもしれない。
いま練習中なのだが、演奏していると、なんだか祈りをささげているような気持ちになってくる。ライブ映像の冒頭に映る、客席のあちらこちらでライターの火が掲げられているさまが、その気分をさらに深めていくようだ。
ところで、祈る(pray)と演奏する(play)は、まったく別の言葉だが、英語の綴りが似ているのは、何かつながりがあってのことだろうか。それとも偶然なのだろうか。
祈りの場で音楽が演奏されたり、音楽とは言えないまでも何かしら音の鳴るものが使われるということは、よくあるように思われる。そうすると、もしかしたらprayとplayは、同じところから生まれた言葉なのかもしれない。
2012年02月17日
I Will Always Love You
2月11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンの最大のヒット曲 "I Will Always Love You" の映像をYouTubeで見る。いろいろなライブバージョンを見る。そのパフォーマンスが素晴らしければ素晴らしいほど、失われたものの大きさが感じられて、悲しくなる。
いろいろ見ていて気付いたのだが、この曲はもともとドリー・パートンの1974 年の歌なのだそうだ。知らなかった。ホイットニーのソウルフルな熱唱に親しんできた耳には、ドリー・パートンのカントリーアレンジのゆったりした歌いかたが新鮮に感じられる。これはこれでいいものだな。
ところで、歌詞を読んでみると、これは別れを歌ったものだということがわかる。ウィキペディアによると、ドリー・パートンの長年のデュエットパートナーであった男性へ向けて書かれたものだという。良い歌には、生まれてくる必然性があるものなのかもしれない。
それはそれとして、"and I will always love you"というサビのリフレインは、若くして去っていった稀有なディーバへの別れの言葉としてそのまま僕らの心に響くようではないか。
いろいろ見ていて気付いたのだが、この曲はもともとドリー・パートンの1974 年の歌なのだそうだ。知らなかった。ホイットニーのソウルフルな熱唱に親しんできた耳には、ドリー・パートンのカントリーアレンジのゆったりした歌いかたが新鮮に感じられる。これはこれでいいものだな。
ところで、歌詞を読んでみると、これは別れを歌ったものだということがわかる。ウィキペディアによると、ドリー・パートンの長年のデュエットパートナーであった男性へ向けて書かれたものだという。良い歌には、生まれてくる必然性があるものなのかもしれない。
それはそれとして、"and I will always love you"というサビのリフレインは、若くして去っていった稀有なディーバへの別れの言葉としてそのまま僕らの心に響くようではないか。
2012年02月14日
カイリー・ミノーグの「チョコレート」
バレンタインデーにちなみ、カイリー・ミノーグの「チョコレート」を貼り付けておこう。愛で私をゆっくり融かして、チョコレートのように、というような歌。セクシーで甘い歌声と、洗練された妖艶な踊りをお楽しみあれ。
チョコが食べたくなってきた。
2012年02月13日
新しいデジカメ
デジカメの周辺機器をレビューする必要があって新しいデジカメを購入した。パナソニックのDMC-FH7。新しいといっても昨年の製品で、家電量販店のワゴンセール品。値段は8000円弱だった。タッチパネル式で、ハード的なUIは、電源スイッチ、シャッターボタン、ズームレバーの3つのみ。じつにスッキリしている。
この値段のものでも、これまで使ってきたカシオEX-Z40より、ほぼすべての面で高性能。EX-Z40を購入したのは5、6年前だったと思う。値段は4、5万円だったかな。デジカメも進歩が早いものだ。
僕は物持ちがいいので、EX-Z40もまだまだ使えるのだが、今回レビューしたい製品の規格には対応していないので、新デジカメの購入ということに相成ったしだい。
この値段のものでも、これまで使ってきたカシオEX-Z40より、ほぼすべての面で高性能。EX-Z40を購入したのは5、6年前だったと思う。値段は4、5万円だったかな。デジカメも進歩が早いものだ。
僕は物持ちがいいので、EX-Z40もまだまだ使えるのだが、今回レビューしたい製品の規格には対応していないので、新デジカメの購入ということに相成ったしだい。
2012年02月07日
映画『クレイジー/ビューティフル』
3年くらい前にPCで録画してあった作品なのだが、それをやっと観ることができた。
裕福な、しかし内情はというと崩壊している家庭の娘と、貧しいけれども堅いきずなで結ばれている家庭の若者の甘く切ないラブストーリー。甘いとはいっても甘すぎないし、切ないとはいって悲しすぎない。そして、苦みを残しつつもハッピー・エンド。いい映画でしたよ。
娘を演じるのはキルスティン・ダンスト。なんかこの女優さん、好きなんだよなあ。
裕福な、しかし内情はというと崩壊している家庭の娘と、貧しいけれども堅いきずなで結ばれている家庭の若者の甘く切ないラブストーリー。甘いとはいっても甘すぎないし、切ないとはいって悲しすぎない。そして、苦みを残しつつもハッピー・エンド。いい映画でしたよ。
娘を演じるのはキルスティン・ダンスト。なんかこの女優さん、好きなんだよなあ。
DVD『田原総一郎の遺言 〜永田洋子と連合赤軍〜』
田原総一郎のテレビ東京時代のドキュメンタリーを見直しつつ、ゲストを呼んで当時を振り返るというシリーズ。司会は、田原総一郎と浅草キッドの水道橋博士。『田原総一郎の遺言 〜永田洋子と連合赤軍〜』というタイトルに惹かれて入手したしだい。この回は、ゲストとして、連合赤軍を描いた『レッド』を連載中の山本直樹、元連合赤軍兵士の植垣康博が登場する。
取り上げた番組は「永田洋子 その愛 その革命 その…」というタイトルで、事件翌年の1973年に放映されたもの。内容は、ニュース映像で事件の概要を振り返ったあと、獄中の永田洋子と書簡を交わした田中美津(ウーマンリブの活動家で連合赤軍との接点もあった)が、永田洋子からの手紙を朗読し、田原の質問に答えるという構成。若々しい田原の姿が印象的なのだが、相手を困らせるような質問を畳み掛けて本音を引き出すというか、失言を誘うというか、そういうあざといやり方が、いまと全然変わってないのも面白い。
田中美津は連赤関係の本にときどき名前が出てくるので、どういう人かと思っていたが、映像でみる1973年の彼女は、ボーイッシュで、かつ活動家らしいエネルギーを感じさせる人物だった。言葉がとても観念的なのは、時代というものだろうか。それがまったく現実から遊離しているとは思わないけれども、簡単なことを観念的に難しく言い表していくことの弊害は、小さくなかったのではないかという気がする。それとも、社会運動にはそういう言葉が必要なのだろうか。これはウーマンリブに限らず新左翼運動にも同じことが言えるのかもしれない。
田原総一郎は、くだんの番組を作る際に獄中の永田洋子に会って番組のことを話したそうだ。当時、山岳アジトでの”総括”という名のリンチ事件が明らかになって以降、リーダーの一人である永田は、人でなし、異常者、というふうに世間一般からは見られていた。その空気のなかで「永田洋子 その愛 その革命 その…」というタイトルの番組を作った田原総一郎の腹の座りようは見上げたものだと思う。会社をクビになる覚悟であったそうな。
永田洋子は昨年の2月5日に獄死した。ほぼ一年前。それでも連赤事件が投げかける問題は、日本人にとっていつまでも古びないという気がする。番組中、山本直樹は、連赤事件を、言葉(観念)が一人歩きしてしまったことによる悲劇であると捉え、このようなことは規模や形は違うにしろ、それ以前もあったし、それ以降もあったし、これからも繰り返されていくことだと述べていた。そして、繰り返されているのに自分たちはそれを忘れてしまい、また繰り返してしまうと。繰り返さないためには、永田洋子や連赤事件が放つ黒い光を折に触れて顧みる必要があるのかもしれない。
取り上げた番組は「永田洋子 その愛 その革命 その…」というタイトルで、事件翌年の1973年に放映されたもの。内容は、ニュース映像で事件の概要を振り返ったあと、獄中の永田洋子と書簡を交わした田中美津(ウーマンリブの活動家で連合赤軍との接点もあった)が、永田洋子からの手紙を朗読し、田原の質問に答えるという構成。若々しい田原の姿が印象的なのだが、相手を困らせるような質問を畳み掛けて本音を引き出すというか、失言を誘うというか、そういうあざといやり方が、いまと全然変わってないのも面白い。
田中美津は連赤関係の本にときどき名前が出てくるので、どういう人かと思っていたが、映像でみる1973年の彼女は、ボーイッシュで、かつ活動家らしいエネルギーを感じさせる人物だった。言葉がとても観念的なのは、時代というものだろうか。それがまったく現実から遊離しているとは思わないけれども、簡単なことを観念的に難しく言い表していくことの弊害は、小さくなかったのではないかという気がする。それとも、社会運動にはそういう言葉が必要なのだろうか。これはウーマンリブに限らず新左翼運動にも同じことが言えるのかもしれない。
田原総一郎は、くだんの番組を作る際に獄中の永田洋子に会って番組のことを話したそうだ。当時、山岳アジトでの”総括”という名のリンチ事件が明らかになって以降、リーダーの一人である永田は、人でなし、異常者、というふうに世間一般からは見られていた。その空気のなかで「永田洋子 その愛 その革命 その…」というタイトルの番組を作った田原総一郎の腹の座りようは見上げたものだと思う。会社をクビになる覚悟であったそうな。
永田洋子は昨年の2月5日に獄死した。ほぼ一年前。それでも連赤事件が投げかける問題は、日本人にとっていつまでも古びないという気がする。番組中、山本直樹は、連赤事件を、言葉(観念)が一人歩きしてしまったことによる悲劇であると捉え、このようなことは規模や形は違うにしろ、それ以前もあったし、それ以降もあったし、これからも繰り返されていくことだと述べていた。そして、繰り返されているのに自分たちはそれを忘れてしまい、また繰り返してしまうと。繰り返さないためには、永田洋子や連赤事件が放つ黒い光を折に触れて顧みる必要があるのかもしれない。
