2015年07月04日

わからないというストレス

先日、小田急線の電車に乗ったところ、直前に事故があったようで、なかなか発車しなかった。間歇的に車内アナウンスが流されるのだが、音量が小さいのと発音が不明瞭なのとで、言っていることがよくわからない。スマホで電鉄会社のホームページを見て、隣駅で事故があったこと、その時点では全線が止まっていることがわかったが、運転再開の予定がわからない。繰り返される車内アナウンスは、何か説明しているのだが、聞き取れない。目の前の女性二人組みも「もっと大きい声で言ってくれればいいのにね」などと話し合っている。

小田急のホームページとかツイッターに連絡することで、この電車の車内アナウンスの音量を上げてもらえないかな、などと考えていたら、ちょっと音量が大きくなって状況がわかった。電車は隣駅までは行くが、そこからは運転再開まで1時間くらいということだった。そういうことならと、隣駅まで移動し、相鉄線経由でなんとか帰宅した。

振り返って思うのは、非常事態におかれたとき、いまどういう状況なのかとか、これからどうなるのかとか、そういうことがわからないと、人は相当ストレスを感じるものなのだということだ。状況がわからないと、自分がどう対応してよいかがわからないからだろう。これは非常にイライラする。電車の再開の見通しくらいならまだしも、これが大きな災害の中だったりしたら、場合によっては強い不安や怒りを覚えたりもするのではないだろうか。その場を取り仕切るべき立場の人間にとって(電車内であれば車掌や駅員)、その場にいる人たちに対して状況や見通しをはっきりと伝えることがとても重要なのだということがわかる。

次元は少し違うけれど、パソコンやスマホを使っていて、いまどういう状況なのかがわからなくなってお手上げになってしまうというのも似たようなことかもしれない(そうなった老父からときどき僕のところに電話がかかってくることがある)。パソコンなどで機能の迷宮に入り込んで「いったいなんなんだよ。どうしろっていうんだよ」などと激高した経験は誰しもあるのではないだろうか。マニュアルを作るなら、そんな怒りをかわないものにしたいものだ。

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2015年06月23日

映画『わたしを離さないで』



カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』を読み、それを原作とする映画を観た。よく言われるように小説と映画は別物で、それぞれの魅力があるとは思うのだが、この小説の恐るべき精妙さに感心した直後だったので、映画のほうはあらすじをスケッチしているような印象を受けた。とはいうものの、映像として目の前に現れるヘールシャムやコテージの風景、キャシーたちの姿形、聞こえてくる彼らの声やさまざまな音、そして Never Let Me Go の歌声、これに接することの喜びは、やはり読書にはない魅力だろう。

いまから考えると、映画を先にして、小説はあとにしたほうがよかったかもしれない。そうすれば、映画の雑な部分は気にならず、小説は小説で、映画でわからなかった細部やプロセスがたっぷり楽しめるのではないかと思う。まだどちらも、という方には、映画を先に、と勧めておこう。

ところで、小説を読みながら、映画を観ながら、魚の小骨のようにずっと心のなかに引っかかることがあった。人間がどれほど堕落しようとも、この物語の設定ほど残酷なシステムは採用しないだろうという思いだ。いや、いまでももっと残酷なことがこの世界では行われているではないか、と言われればそれはそうなのだが、少なくとも民主主義国においてはそこまでのことはないはずだ、と思う。弱者を犠牲にして強者の利益を確保する、さらには犠牲にするための弱者を生み出していく、世の中はそんな仕組みになっているんじゃないのか? それと『わたしを離さないで』の世界にどれほどの違いがあるのか? 紙一重じゃないのか? そのように問われれば、自信は揺らぎはじめるのだけれども。


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2015年06月02日

『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗著、ちくま文庫

水村美苗著『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(ちくま文庫)読了。面白かったし、蒙を啓かれるところ多かった。海外生活の長い女性作家による日本語論、という外部情報だけから、超復古的トンデモ本的に仕分けてしまうかたもいるかもしれないが、けしてそのたぐいではなく、時間的にも空間的にも広く深く言語・言葉のありかたについて考察した、理性的で説得力のある内容。

本書のなかでは小さな枝葉の記述だが、ひとつハッとさせられた箇所があった。370ページの「当用漢字」についてのくだりだ。いま、ライター、記者、公務として文章を書く人などはみな、使用する漢字については「常用漢字」を意識しているはずだが、「常用漢字」の前は「当用漢字」というものがあって、僕が子供のころはそれを習った。この「当用」の意味が、「漢字の全面的な廃止が政府決定されるまでのあいだ、当面使用される漢字」ということだったというのだ。

恐ろしや恐ろしや。
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Googleフォトの検索機能に驚く

さきごろ機能強化されたGoogleフォトがすごいという記事を読んで、試したところ、確かにそうだった。Googleフォトというのは、写真を保存・管理するクラウドサービスなのだが、何がすごいかというと、要するに検索機能。Google側で写真の中身を自動的に解析し、何が写っているかをある程度は把握しているようなのだ。
なので、たとえば「ネコ」で検索すればネコの写真が出てくるし、「自動車」で検索すれば自動車の写真が出てくる(そうじゃない写真もちらほら混ざっていたりもするが)。「飛行機」「空」「海」「山」「川」「女性」「男性」「自転車」「駅」「ジュース」「机」「ベッド」「夜」「月」「ギター」「ライブ」「バー」、これらのキーワードはすべて、精度の差こそあれ、該当の写真をピックアップしてくることができた。「イヌ」で出てきたのがネコだったり、「女性」で出てきたのが写真のなかにベネディクト・カンバーバッチの写真があったりと、ご愛嬌もあるのだが、とにかくすごい。
Googleよ、どこまでいくのか。
posted by kunio at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | PCとネット

2015年05月25日

地震速報メール

今日の午後2時半頃に関東を中心に震度3から5弱の地震があった。妻の職場では業務の関係で各社のスマホが多数あるそうで、それらが一斉に緊急地震速報のメールを受信し、その警告音で騒々しいことになったらしい。一般の職場でも、人数が多いところではそんな状況だっただろうか。

僕のスマホは、先月から格安スマホ(イオンスマホ)なので、地震速報の警告音は鳴らなかった。あれはキャリア(ドコモ、au、ソフトバンク)のスマホじゃないと来ないものなのだな。来ないからといって、さほど困ることはないと思うけど。

posted by kunio at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活

2015年05月13日

『日本文学全集01 古事記』池澤夏樹訳、河出書房新社

たまには本のことも書こうと思う。
池澤夏樹編集で日本文学全集の刊行が始まっている。その第一巻目『古事記』を読んでみた。池澤自身が現代語に訳したもの。恥ずかしながら古事記を読んだのは初めてのことなので、本書が他の現代語訳などと比べてどうこうというようなことより、「古事記ってこんな内容なのか」という驚きや面白さがあった。一言でいうと、神々による天地創造の時代から歴史時代(聖徳太子あたりまで)に至るまでの天皇の系譜の物語を中心とした神話的物語集なのだが、古代のおおらかさやストレートさにたまげるんだなあ。ちょっとしたことであっさり家族や親戚を殺してしまったり、天皇が旅先で出会う娘を次々に妻にしたり……。
登場する地名が現代の地名につながるものであるのも、親しみを覚える。ほとんどは九州や関西、東海あたりのものだが、少しだけ関東の地名も登場する。ヤマトタケルの話のなかでは、いま僕が住んでいる地域の地名も登場するので、このあたりをもしかしたらヤマトタケルが通ったのかもしれない、などと思うと不思議な感じがする。西日本の方は、身近な地名がバンバン登場するので、もっと楽しめるのではないだろうか。
posted by kunio at 02:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・文学

2015年02月08日

映画『はじまりのうた』



恋人ベイブ(アダム・レヴィーン)に捨てられ失意の底にあったアマチュアシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレー)は、ニューヨークの小さなライブハウスで友達にステージに引っ張りあげられ自作の歌を披露する。そこに居合わせた、長いスランプ中の音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)は、彼女の歌に惚れ込み、ニューヨークの街中各所で録音するという奇策のアルバム制作を申し出る…。そして、音楽活動を通じて、グレタもダンも、それぞれの人生を見直し、前に進んでいくきっかけを得ていく。

BGMとしてだけでなく演奏場面も多数あって、音楽の喜びにあふれる作品。本職のアダム・レヴィーン(マルーン5のボーカリストで今作で映画初出演)の歌が良いのはいうまでもないが、キーラ・ナイトレーの歌も上手とはいえないが心に入り込んでくる魅力がある。音楽が好きな人なら楽しめること間違いなしの音楽映画。
posted by kunio at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年02月01日

映画『ビッグ・アイズ』



約一年ぶりの更新だな。奇しくも、今回の記事で取り上げる作品には、前の記事で紹介した『アメリカン・ハッスル』に出演しているエイミー・アダムスが主演しているのだが、今回もまた彼女の独特の表情に魅了された。物語性豊かな表情とでもいおうか、彼女の表情は、物語に深みと魅力をもたらすうえで大きい役割を果たしているように感じる。

この映画は、妻が描いた絵を夫の作品と偽って米国アートシーンで成功した夫婦の物語。画家をきどってはいるが画才より商才に富む夫と、才能豊かな妻。夫は妻の作品の魅力に気づき、商魂たくましく妻の作品を売り出していく。偽りはやがて隠しきれなくなり、妻は夫の元を去ってメディアに真実を明かすのだが…、という話。事実に基づくというのだから、世界は面白いものだ。
posted by kunio at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2014年02月11日

映画『アメリカン・ハッスル』



FBIとの司法取引で捜査に協力することになった詐欺師の男女が、政治家たちや大物マフィアまで巻き込むヤバイ捕り物に関わってしまい、命まで危うくなる……という話。詐欺モノと聞くと、いかしたやつらが華麗なトリックで大金持ちから大金を巻き上げる、みたいなオシャレな映画を思い受けべてしまうのだが、その手の話ではない。だますほうもだまされるほうも、どこか抜けているし、生きのびようと精一杯。頭が薄い中年太りの主人公アーヴィン(クリスチャン・ベイル)も、本能だけで生きているかのようなその妻も、アーヴィンの恋人で詐欺稼業のパートナーであるシドニー(エイミー・アダムス)も、FBI捜査官も、みな不完全で、弱く、それゆえに愛おしい。

70年代のアメリカが舞台で、ファッションも音楽も、その時代を濃厚に感じさせるものになっている。

公式サイトによると実話なのだそうだが、事件を描くというより、70年代のアメリカの一断面を描くことを意図した作品、というように僕には思えた。
posted by kunio at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2014年02月08日

映画『BECK』



これもバンドもの。同じバンドものでも、『ソラニン』などはアマチュアレベルの話であるのに対して、こちらはプロデビューをしようかというレベルなので(『NANA』なんかもそうだったな)、いきおい音楽的なシビアさが話に関わってくる。といっても、全体としてはコミカルで元気な雰囲気なので、何も考えないで楽しむ、というのがこの映画については正しい見方かもしれない。かなり荒唐無稽なところもあるし。
posted by kunio at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画